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心と社会 No.121 36巻3号
巻頭言

思いつくままに

見藤 隆子
( 前長野県看護大学長、現日本看護連盟会長)

 この講をお引き受けしたものの何を書いたらよいのかわからず、自分の人生の上で自分の心の成長に寄与したと思われることを思いつくままに書いてみて、何か少しのお役にたてれば幸いであると思うに至り、パソコンの前に座った。

昭和14年東京の小学校に上がったのだが、どうゆう理由であったのか、登校拒否には至らなかったものの、何ともいえず学校が抑圧的で重苦しく、こんなところに6年間も通うのかと思い絶望していた。幸い夏休み前に、父の転勤で当時の満州(中国東北部)へ行くことになり、通うことになった小学校が、ノビノビとして明るく自由なところで生き返った。小学校時代は、遊び呆けていて、ほとんど勉強も宿題もしなかったがそれでも誰にも注意されず、楽しいときが多かった。しかし、悲しいとき苦しいときがなかったわけではなく、その多くは些細な実母との関係であった。外でたくさんの子どもたちと群れて遊び、学校でも仲良しの友達が何時もいて、今の子どもたちのように友達がないという経験をしたことがない(実母との深い心の繋がりない分、外に人を求めたともいえるであろう)。姉妹喧嘩や友達との喧嘩もしていたのだが、それも今から思い返せば、人間関係の持ち方の学習に大いに役立った。

女ばかりの5人姉妹で、親の愛を独り占めもできず、ずいぶんと喧嘩も、食糧の貧しい時代であったから、一人っ子ならいいのにと思ったこともあった。

しかし、現在の飽食で物質的にも豊、親の愛を一身に受けているかと思われる子どもたちのコミュニケーションの貧弱さ、それからくると思われる精神的に脆弱な人の多さ、ニートといわれる人の増加には、人間の生き方、育て方の難しさを考えざるをえない。戦中、戦後の惨めさを我が子には味わわせたくないとの思いから、親は、一生懸命働き努力したのであろうが、思いもしなかった子どもたちを作ってしまったのではなかろうか。

私の外地で迎えた終戦は、厳しいもので、特に引き揚げるときの難民状態は、惨めこの上なく、その惨めさを人に伝えることが長い間できないほどであった。「艱難辛苦なんじを玉にす」、のことわざに気づくのはずっと後のことである。

難民キャンプに収容されていたとき、伝染病がはやり、頭からDDTを噴霧器で物体に掛けるようにかけられたとき、「私は人間なんだ!」と無言のまま心の中で叫んだ。親も全く頼りにならない外地での敗戦は、自分を頼りに生きるしかないことを嫌でも認識させられた。満13歳のときである。このとき、自分の認識では、精神的に親から自立したように思うのである。当時のこのような状況下で、すべての13歳が自立したわけではなかろう。私の場合は、母が多忙でかまってくれず、すでに両親を客観視していたことも関与しているように思う。また、引き揚げ後の敗戦日本の状況は、社会すべてが貧しく、また、失職状態に近い親のもとでは、経済的にもある程度自立せざるをえなかった。

このような話をかつて女子大のグループで、貧しさを思い出しながら半ば恥ずかしいような思いで語ったのであるが、返ってきた反応が、そのような経験をした見藤がうらやましいといわれ、驚いた。

なるほど、精神の自立や自由を手に入れることが何時の時代にあっても若者の大きな課題であり、それを手に入れるための方法がわからずにいる学生にとっては、必然的に手に入れることができた私がうらやましのであろう。

さて、それでは今の人たちはどうしたらよいのであろうか。

過去はよかったのではなく、現在の状況の中で若者が自分に満足な自分をどうやって作っていけるかであろうか。

今は、食べるために働く必要がない人が多い。したがって、嫌な職場は我慢したり努力したりしたくない。

友達が少なく、喧嘩の経験も少ないから少しの言葉に傷つき、過剰反応をし、修復の仕方がわからない等等、若者の特徴をいろいろあげつらうことができるであろうが、ではどうするのかとなると誰も妙案を持ち合わせてはいないのではないか。

看護教育をする大学に長いことかかわってきた私は、それでもなんとかしなければならないと考えて、入学式翌日から1年生全員参加のワークショップを1泊2日で行ってきた。看護を志す者の多くには、人の役に立ちたいという動機があるのだが、人とのコミュニケーション能力がなければ役に立つことは難しい。したがって、このワークショップは、「人間関係」「自己のありよう」「人間とは」などを実践的に考えられるようにプログラムされていた。1泊2日は十分な長さとはいえないが、それでも参加後にはかなりのよい変化を見ることができた。ワークショップの一番の問題は、これに参加する教員の数と質である。

ワークショップを効果的に運営できる力のある教員が4〜5名いれば、他の教員はそれを見習い、ある程度影響されるようである。

人は、人間関係を人から学ぶしかないのではないか。小さいときから群れて遊び、群れて行動することをもっと検討していただいてはどうであろうか。

それとも、何もせず社会の流れに任せておけばよいのであろうか。


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