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心と社会 No.152
巻頭言

アンチスティグマ国際学会に想う

広瀬徹也
(公財)神経研究所・晴和病院 顧問

 今年の2月に東京で開かれた第6回WPAアンチスティグマ分科会国際会議(実際の運営は高橋清久会長以下、佐藤光源、秋山 剛、樋口輝彦、下寺信次氏ら各委員長の指揮による)は当事者、家族なども含め予想を上回る6百人近くが集まり、内容的にも参加していて記念碑的な価値と成果があったと実感できた。世の中には様々のスティグマがはびこり、その除去には長い時間とエネルギーを要する闘いが求められてきたが、とりわけ精神障害はその歴史が即スティグマとの闘いの歴史といってよいほどである。

 私もシンポジウムの一つで日本の闘いの歴史の1例として、日本精神衛生会の前進団体である精神病者慈善救治会の活動を報告したので、その一部をここに紹介する。精神病者慈善救治会は明治35年(1902年)呉 秀三夫人呉皆子の主唱により医科大学教授など著名人夫人が中心となって結成され、3年後には大隈重信夫人の大隈綾子が会長になったことで示されるように、女性が前面に出て、男性は賛助会員として背面から支援する構成であった。もちろん黒子的とはいえ、実際の指導者は呉 秀三東京帝国大学教授であったのであり、彼が前首相の大隈重信伯爵(のち侯爵)を担ぎ出し、その夫人を会長に据えたことが成功の一因であったと思われる。

 精神病者慈善救治会という名称が示すように、その活動は精神病者への慈善から始まった。資金集めに慈善音楽会、観劇会、舞踏会や園遊会が開かれ、それには華やかな名流夫人が中心となることが最もふさわしかったと言えよう。その資金で精神病院での患者向けの慰問演芸会が開かれ、菓子やラジオなどの慰問品も彼女らの手仕事を含む努力で、公費の入院患者を中心に届けられた。彼女らは病院のレクリエーション活動にボランティアとして参加もしたという。

 その他、松沢病院や東京帝国大学医科大学精神科での外来施療、精神衛生啓発活動として講演会や会報の発行などがあった。そして忘れてはならないのが1916年の東京帝国大学医科大学への13床の精神病室の寄贈である。それまで東京帝国大学は官制スティグマの最たるものとして、大学内に精神病室を置くことを禁止してきたからである(府立巣鴨病院が精神科附属病院でもあった)。外来こそ漸く1914年に大学内にできたものの、呉教授の再三にわたる大学当局への働きかけでも叶わなかった大学内病室は精神病者慈善救治会の寄付病室が突破口を開き、呉の死後1934年に至って漸く大学構内に正式な病室ができたという経緯がある。なお1921年精神病者慈善救治会は精神病者救治会に名称を変更、さらに1927年には救治会となった(その後精神厚生会を経て1952年日本精神衛生会誕生)。当初公費入院患者への慈善活動から始まったのは自然の経過とはいえ、今風に言えば上から目線の“慈善”が会の名称からはずれたのは活動の発展のあかしであろう。

 呉が大隈重信という大物政治家を担ぎ出し、名流夫人らを前面に出したことは当時としてはアンチスティグマ戦略と言う点でも大きな成功といえる。大物政治家といえば米国大統領ジョンF. ケネディが1963年に「精神病及び精神遅滞に関する大統領特別教書」を発表して、長年彼らを無視してきたことを率直に認めて反省し、病院のケア水準の向上は勿論、病院から地域でのリハビリテーションをうたったことはアンチスティグマと言う観点からも画期的価値があったことを強調したい。我が国の為政者にも同様なことを望みたいものである。

 大物政治家の関与に次いで精神障害のアンチスティグマに効果を発揮するものに有名人のcoming outがある。躁うつ病では古いところでは作家北 杜夫氏の功績は大きいものがあった。近年は多くの有名人がcoming outした上、講演や著作で啓発活動を行っているのは誠に心強い。統合失調症関係では少なくなるが、ノーベル経済学賞受賞者であるJohn Nash博士が行い、“Beautiful Mind”という映画にもなったことは大きなインパクトがあった。実際映画のアンチスティグマ効果は大きく、きょうされんが作成した和歌山県田辺市の麦の里での実話の映画化“ふるさとをください”も英語版やスペイン語版が作成されるほど成功した。

 このようにアンチスティグマ対策も様々なものがありうるが、病気に限ると、難治とされた病気が治療法の開発によって治るようになれば、自然に解消するはずである。ハンセン氏病はその好例であろう。一方、治療成績に顕著な変化がなくとも、頻度が増えてcommon disease化するとスティグマの度合いが減少することもまた事実である。受診者が100万人を超えたと報告され、職場や家庭にも珍しくなくなった昨今のうつ病がそれに該当しよう。高齢社会における認知症もその様相を帯びてきている。

 ところでうつ病については、スティグマが減ってきたといっても油断はできない。勤労者が休職した場合、一定期間の休職で完全復帰できればスティグマも完全に解消されようが、復職後間もなくして再発したり、本来の能力がなかなか回復しないとなると、そこに新たなスティグマが生ずるおそれがあるからである。うつ病の勤労者の復職後の経過、予後は本人や会社の利益に関わるだけでなく、うつ病のスティグマにも影響することを治療者は念頭におくべきであろう。

 ところでうつ病と診断されて精神科病院の外来に通院することには抵抗を示さない人も、入院となると途端に閾が高くなるのは何故であろうか。かつての精神病院のイメージを刻印した閉鎖病棟や保護室などがない、明るい開放病棟を見学して貰っても入院に同意しない人に数多く接して、その壁の高さを痛感させられてきた。精神病院にまつわる長年のおぞましい歴史が系統発生的に我々の脳に刷り込まれているのかと思うほどである。これも今後長く続くアンチスティグマの闘いの標的であろうか。

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