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心と社会 No.155
巻頭言

会津に来て

井上新平
福島県立医科大学会津医療センター

 縁あって昨年5月から福島県立医科大学会津医療センターで仕事をさせていただいている。高知大学退職後、第二の活動をと思っていたとき先輩の丹羽真一先生から声をかけていただいた。会津若松市と喜多方市の県立病院が統合し県立大学の傘下に入ることになったのが会津医療センターである。地域医療を主としつつ大学としての機能も出していこうということで、その立ち上げに関わらせていただいている。会津に来るにあたってはもちろん被災者支援の思いもあった。

 会津は地盤がしっかりしていて、東日本大震災時最大震度震度5強であった。人口約12万人の会津若松市における被害は、浜通りや中通りに比べると軽微であった(死者1人、軽症6人、住宅全壊4棟、一部破損440棟)。放射能測定値は、3月15日22:20にピークの2.57マイクロシーベルト/時間に達したが、4月に入ると0.2前後になり、5月には0.17前後、6月に入って0.16前後で推移した(会津若松市定住・二地域居住推進協議会)。最近は会津若松駅で0.06?0.1程度である。

 被災に関してはこのような状況で、赴任当初は被災者支援とは若干縁遠いと思っていた。しかしそれは誤りであった。

 会津には大熊町の役場や学校が移転している。被災前の人口の5分の1くらいの町民が住んでおり、必然多くの患者さんを診ている。神経症性障害、うつ病、認知症…疾患の分布は他の地域と変わらない印象である。

 被災し避難してきた患者さんには、どうしてもこちらのほうが身がまえてしまう。特別な人との意識を持ってしまう。一方診察室で見る彼らは、自らを特別視しているようであり、そうでないようでもある。お世辞かもしれないが、会津は良いところだ、人が親切だと言う人もいる。また雪には閉口するとも言われる。風聞だがひと冬を過ごした後に、いわきに戻った人もいたという。

 ある患者さんがパニック発作を訴え来院した。すでに他院で治療を受けており、症状が治まらないために多種多量の抗うつ薬・抗不安薬を処方されていた。この人に対して、型通り抗うつ薬と抗不安薬を一種だけ残したところ、症状は早期におさまった。ところがしばらくするとまた発作が頻発し、またしばらくするとおさまる。時期的にパニックが群発するのである。治療が適切でないのかもしれない、診断が違うのかもしれないなどいろいろ考えているうちに、患者が原発と症状との関連性について話し出した。毎晩のようにニュースに出てくる。自分はあまり見たくないが、父は普通に見ていて何にも感じないようだ。寝るころにふと思い出す、賠償金が出て家がないんだと感じた、まわりの人は慰めしか言わない、被害にあってみないとわからない、これではいけないと思うが…

 この人は、自分が被災者と見られるのがいやであった。務めた工場で被災地からきたことが周りに知れた途端に「大丈夫?」と皆の態度が変わったという。それに耐えきれずやめてしまった。

 被災者を迎えた会津の人たちは、彼らをどのように迎えたのだろうか。

 会津の三泣きという言葉がある。よそ者が会津で生活すると3回泣くということで、1回目はとっつきにくさに泣き、2回目は受け入れられた後の情の濃さに泣き、3回目は別れに泣くという。それほどの情の濃さが強調されている。

 こと原発事故被災者支援に関しては、1回目の泣きはなく、2回目、3回目の泣きを体験しているのかもしれない。それは診察室でも感じることができる。浜通りの人よりも会津の人は親切だ。こちらに来なくてはいけなくなったとき、家具を残してこなければいけなかった、冷蔵庫の処分に困って相談したらすげなくされた、会津でも同じような相談をしたら、良いから残していきなさい、自分たちがなんとかするからと言われありがたかったという女性高齢者の患者さん。隣家が被災者で雪かきの方法がわからず自分の家に雪がどんどん持ってこられた、雪になれないのだろう、雪かきの経験がないのだろうと、ひと冬我慢してつきあっていた、最近自分の方が引っ越したところ、症状がうそのようになくなったという中年男性のパニック障害の患者さん。

 確かに被災者への批判もないではないだろうが、逆に、被災者と分かった途端に親切になり、それが逆効果となった先の女性患者のようなケースが一般であろう。情に厚く規律を重んじ、集団で厳しい自然を乗りきっている会津人、故郷をこよなく愛する会津人、過去のことではあっても不正、不実は許さないという会津人。彼らにとって浜通りからの被災者を精一杯支援するのはきわめて自然であろう。そしてそれが、普通に接してほしいという被災者には、時に逆効果に働くことがある。しかしそれは本当に逆効果なのだろうか。

 被災者の気持ちは、本当のところはわからない。わからないのは、文字通り被災者自身が、「被害にあってみないと自分たちの気持ちはわからない」と言われるからである。こちらは、ルサンチマンと、そしてコミュニケーションが遮断されたと感じてしまうのである。しかしそのような感情が被災者を全面的に覆ってしまっているのだろうか。そのような態度は自分を閉ざしてしまい前向きでないことは、彼ら自身がよく知っているのではないだろうか。先の患者さんが「これではいけないと思うが」と言うごとく。

 彼らは、時に何とか外の世界と通じないといけないと思い、時に自分のことがわかるのは同じ被災者だけだと思うのだろう。時期によって、環境変化などによって気持ちは時に大きく、また常日頃から小さくゆれ動くのだろう。その動きが見えないと、こちらは「わからない」と感じてしまう。要は被災者の心理はこうだなどと決めつけず、普通の患者さんとして見ていくことが重要だろうと思う。そして会津のぶれない支援は、究極的には被災者にとって最良の支援になりうると感じている。

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