中越学校メンタルヘルス研究所 井上 惠 3、事例を一つ 中学生のA子が不登校に陥ったのは新年度の始まりからしばらくたった頃、きっかけは「いじめ」でした。かつてはA子の方がいじめていた級友達からの排斥です。 小さな弟達のいる核家族のA子家族、母の自営業は開店休業、店も奥も散らかり放題です。準要保護家庭、残高不足で学校預かり金の振替不可も多く生活は苦しいようです。 保護者の精神的な不健康ないしは障害の可能性が否定できず、A子の反応も神経症的な不登校とは異なった様相でした。それでも中学生の本分は学習ですから別室での学習が始まりました。最初は「誰か1人の教師が同じリズムで関わること」、乳幼児の「情緒的な対象恒常性」獲得のプロセスと同じです。A子の学習は主に2つです。 ◆数学の勉強をすること ◆A子の好きな読書をすること そうやって1月ほど経った時、かねてより「とても汚れた制服」から虐待を疑っていましたが、「普通はないはずの傷跡」を「掌に」見ました。A子に訊かねばならない事態と考え、数日後、彼女の了解を得ながら慎重に訊きました。 A子は果たして落涙、次いで号泣に至りました。A子は主に母親からの暴力と暴言に遭ってきたのです。こちらも一瞬もらい泣きです。でもそれは一時、頭の半分は冷静に「この事態をいかに収めるか」計算をしています。ワ−カ−ではない教師は家族に直接的な介入はできません。「先生がなんとかしてあげる」など安請け合いもできません。 ただ、このように話すのみです。「言いづらいことをよく話せたね。すごい勇気だよ。貴女は辛いことがあってもちゃんと生きてきた。教室に行けなくなったのは全然無駄なことじゃない。そのおかげで貴女とこうして話ができたもの。ありがとう」。 両親は子どもを可愛がる時もあって一時保護には結びつきません。けれども、もちろんこの家族に関する「要保護児童対策協議会」を定期的に開くように手配しました。 A子の知能偏差値は60を優に超えていましたが、学業成績は下位、分数の計算があやふや、繰り上がりも時に間違います。このような場合しばしば発達障害や算数障害と呼ばれてしまいます。しかし、彼女の思考の論理回路はきれいであり「虐待によって能力が発揮できない状態」と判断しました。半年ほどで数学は中の上レベルとなりました。 また彼女には時々虚言がありました。意識的なそれもありますし、「これは無意識の虚言では?離人反応に近いのでは?」と思うエピソ−ドもありました。 大人は子どもに「嘘をついてはいけない」と言います。一面ではその通り。でも嘘をつくには理由や背景があるわけで、そこをくみ取らねばなりません。まず子どもの言うことをまるごと受け止め、具体的な行動を共にし、子どもの心の中でその出来事がすとんと落ちる過程を共有します。その繰り返しで、虚言や演技と思われる子どもの反応は激減します。つまり「正気の世界」に戻ってくるのです。 さて、A子は別室と教室を往復しながら高校へ進学し無事卒業、今は働きながら一人暮らしをしています。本が好きな賢い女性に成長しました。 虐待についてA子と話したのは1度きりです。その時「A子が18歳になった時のこと」を話しました。それは「限りある中学校生活」を越えて「未来を見せる」という「限りなき教育」となったのだと思います。 なお、事例の一部に変更を加えていることを申し添えます。
1.はじめに |
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