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こころの健康シリーズVI 格差社会とメンタルヘルス

7 子どもの養育環境とメンタルヘルス

長野県佐久総合病院心療内科
藤井 伸


症例3 頭がいつも痛い、お腹も痛い・・・C子

 C子(同胞5人)の父母は借金のため蒸発して父方祖父母がC子を引き取った。生後すぐから母はこの子の世話をせず食事も殆んど与えなかったらしい。祖父母に引き取られてからは祖母が食事を与えず、ときどき顔面に赤痣があるなどから被虐待児と考えられ、小学校2年のときにK児童養護施設に措置された。

 人には愛想がよく小学校時代はまがりなりにも登校して友達関係もよかったようであるが、中学に進む頃から頭痛を訴え何日も学校を休むようになった。2年生になってからは頭痛に加えて腹痛を訴えて学校には行けなくなった。初診の際の臨床心理士の記録に「頭の形のいびつなのが気になる。医師によると脳への影響はないとのこと。幼時の虐待による変形?」とある。

 頭痛、腹痛ともに「心気症」と思われ臨床心理士に面接を依頼した。初回の面接のさいにC子は臨床心理士にいま入所している施設が嫌い、いつも世話してくれる職員たちも嫌いと述べ、早く施設を出たいという希望を繰り返し訴えた。しかし中学2年生から高校を卒業するまでの約5年間に59回の心理面接に通ったのである。そしてK施設が嫌い、出たいといい続けたのである。

 その間この気まぐれとも言える女の子を送迎し、行きかえりのおしゃべりに付き合うだけでも大変なのにさらに毎晩ドライブをしておしゃべりに付き合った職員がおられた。「早くお金を貯めて独立する」とまだ中学生の頃からアルバイトに行くのもサポートし続けた施設の包容力はたいしたものだったと思う。また施設の職員にもC子にも距離をとり、つかずはなれずにC子の身勝手とも言える訴えを長年にわたって受容しつつ傾聴してくれた病院の臨床心理士の力もまた無視できない。ともかくC子はこの施設を「満期卒業」したのである。

 

症例4 ひとのものと自分のものの区別がつかない・・・D子

 「盗癖」があるとのことで中学1年生のときに当科外来に受診したD子は小学校2年生のときにK児童養護施設に措置された。母は2人の男の子を連れて父と結婚しD子が生れた。母は遊び好きで子ども達の世話をほとんどしないので父方の祖父母にしばらく養育されていた。その間に父母は離婚してD子は父に引き取られた。そのあと父がふたりの女の子をもつ女性と再婚してD子もいっしょに暮らすようになった。しかしD子は人に馴れぬところがありひとり玄関に暮らすようにされ食事も別に摂らされた。嘘言癖もあるせいで父が怒って暴力をD子にふるうようになった。そのため児童相談所を経由して初めは一時養護家庭に預けられたが不調に終わりK児童養護施設に入所したのである。

 小学校時代はスケートにのめりこんだ。スケートさえしていれば楽しいということで、6年生では部長も勤めるほどであった。しかし小学校高学年から中学に進むにつれてほかの子ども達のものを無断でもってきてしまうことで喧嘩に発展するようになった。施設の臨床心理士がしばらく面接を続けてみたが、ほとんど盗んでいるという自覚がなかった。

 病院の臨床心理士の初回の面接でも病院に来たのは「ひとのものを勝手に持ってきてしまう」ことを直すためであるということを言われてきたことは認めたが、それが悪いとか、問題であるとかいう認識は乏しくどう対応したらよいのか苦慮することになってしまった。それでも冬季はスケートの練習が忙しくその送迎に職員が付きっ切りという状態で世話をしてくれるためか比較的問題が生じないということで、春から秋のスケートシーズンでないときに7回ほど面接が行われた。

 その間に中学校の上級生の男の子たちとの交遊や、その男の子たちを施設に連れてきての職員との悶着などがあり、それに対する指導に施設としては苦慮することになった。そのため問題が拡散して面接に連れてくる焦点がはっきりしなくなってしまった。それで「人のものをもってゆくのはいけないことで、それはやめねばならない」ということを繰り返し伝えて、キチンと認識させるということで面接は終了した。その後の中学・高校時代の経過をみると、スジは通しつつそっと見守るという対応がよかったように見える。

4.病院という避難港

1.はじめに
2.症例1/症例2
3.症例3/症例4
4.病院という避難港
5.施設職員・心理士の働きと病院医師・心理士の働き

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