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こころの健康シリーズZ 21世紀のメンタルへルス

No.3 日本におけるひとり親家族の現状
−多様な家族の共生社会に向けて

立教大学コミュニティ福祉学部福祉学科教授  湯澤直美


ひとり親世帯とワーク・ライフ・バランス

 ひとり親世帯が直面する生活困難は、経済的問題にとどまりません。子どもの教育にかかる費用などを捻出するためには、より多くの就労時間を確保しなければなりません。パ ート等の非正規雇用の場合、夜間や祝祭日の方が時給は高いために、不規則な時間帯に働く場合も少なくありません。なかには、子どもが学校に登校する前の早朝の時間帯に出勤せざるをえないケースもあり、早朝勤務が続くなかで子どもが小学校に時間通りに登校できなくなっていき、不登校状況に陥ることもあります。あるいは、深夜に子どもだけで留守番をせざるをない環境のなか、火事が発生して死亡事件につながるケースもあります。このように、子どものための労働が子どもと過ごす時間を奪うという悪循環のなかに、多くのひとり親が置かれているのです。

 そこで、あるシングルファーザーの経験をご紹介しましょう。離別当時、Aさん(父親)は勤務時間が不規則な飲食店で就労していました。700万円以上の収入があったものの、就業時間が深夜12時になることもあり、乳幼児2人を抱えて育児と仕事を両立することが困難な状況に直面しました。そこで、1時間はかかる距離にある実家に二人の子どもを預け、週に1〜2回は父親が実家に行く、という生活スタイルをとらざるをえなくなります。「普段(子どもとは)ほとんど会えないような生活」になったのです。保育所も待機状態であったことから、1年間たった頃に実家近くの幼稚園に入園させることになりました。そこで、Aさんは、朝は始発の電車に乗って幼稚園に登園させ、午後には仕事の合間をぬ って幼稚園のお迎えに出向き、子どもを実家に預けて再度仕事に向かうようになります。その翌日には、また早朝に実家に行く、という繰り返しをする暮らしのなか、「死んじゃうな」と思うようになり、職場を辞める選択をするに至りました。

 その当時を回顧して、Aさんは「よく無理心中って話聞きますよね。そういう気持ちが若干わかるのは、この先、例えば、自分のおばあちゃんが死んじゃったらどうしようとか、いろんなことを考えて悩んだ」と語っています。そのように悩んでいた頃、児童福祉の専門機関に相談することができたAさんは、担当した相談員から「一人で絶対悩まないでください」と言われ、1回の相談で「すごく吹っ切れた」と同時に、相談員の一言で救われた気持ちになったと言います。相談員からは、「何かあったら私たちがいます」と伝えられると共に、どうしても育てられない場合には里親などが大事に育ててくれる制度もあることを頭の片隅に入れておいてくださいと、アドバイスされました。相談員のこの言葉を聞いた時に、「子どもを殺してしまうよりも、誰かに育ててもらえば、自分も生きていられるし子どもも幸せな生活を送れる」という逆転の発想ができ、選択肢があることを知ったことで心配がなくなったと語っています。

 このようなシングルファーザーの経験は、日本社会において長時間労働と子育てに引き裂かれる多く親たちの実情を照射するものであるといえるでしょう。ワーク・ライフ・バランスの推進が政策的に進められつつありますが、男性は「育児参加」が奨励されるばかりで、「育児の主体者」としての親であるには、まだまだ分厚い壁があります。経済的に困窮する子育て世帯がワーク・ライフ・バランスを享受するには、より一層、厚い壁が立ちはだかっています。もし、Aさんのようなシングルファーザーが、子育てにあてる時間を確保できるような雇用環境が保障され、長時間労働をしなくとも子育て費用を確保できるような条件が整備されている社会であったならば、無理心中まで追いつめられるような事態はなくなるでしょう。誰もが、雇用にも子育てにもアクセスでき、ひいては地域社会での活動などにもアクセスできるような社会をいかに構築できるのか、ひとり親世帯の暮らしは、そのメルクマールです。

 多様な家族が共生できる社会をいかに創るのか、その道筋は、私たちが人間らしい暮らしを実現するプロセスになるといえましょう。

※本稿は、湯澤直美(2012)「平成23年度全国母子世帯等調査にみるひとり親世帯の動向─学歴指標の導入に焦点をあてて」『貧困研究』vol.9・明石書店、湯澤直美(2014)「母子世帯の貧困と社会政策」『教育と医学』62(1)をもとに、加筆修正しています。

《引用文献》
Secratariat calculation of data from the OECD Income distribution questionnaire (version Jan 2014).
川崎市男女共同参画センター(すくらむ21)シングルファーザー生活実態インタビュー調査プロジェクト(2016)『シングルファーザー生活実態インタビュー調査報告書』
国立社会保障・人口問題研究所「日本の世帯数の将来推計(全国推計)─2010(平成22)年〜2035(平成47)年─2013(平成25)年1月推計」

1.はじめに
2.ひとり親世帯数の趨勢と世帯概況
3.日本の社会政策の特徴とひとり親世帯
4.ひとり親世帯とワーク・ライフ・バランス

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