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心と社会 No.162
巻頭言

心身相関から社会と心を考える

久保 千春
九州大学総長

 私がこれまで体験したことをとおして社会と心について述べてみたいと思う。

 昭和41年大学に入学したが、昭和43年〜昭和44年にかけて全国的な大学紛争があった。「インターン制度や医局講座制の問題」、「病気は政治、経済、社会的側面が大きく関係する。そのためには、単なる患者の治療だけではなく、社会を変える必要がある。大学に閉じこもっているだけでなく社会運動をすべきだ」等について学生自治会のもとでクラス討議が行なわれたりしていた。私はこれらの会議に参加し、クラスの人達の話を聞いたりした。同級生の中には社会運動をすべきだと話して大学を飛び出した人もいた。自分はどのような医者になるべきかについて、いろいろな人との対話や読書をしながら考えていた。

 ところで、医学部に進むきっかけは、高校3年の時に体がきつく、大学病院で検査してもらったところ、慢性腎炎と言われたことによる。感受性が鋭い時期であり、死の不安があった。将来は人工透析を受けなければならなくなるかもしれない、あまり長く生きられないのではないか、と実感し、腎臓病の治療を解明したいとの思いで、医学部に進学した。食事療法と運動制限が功を奏したのか、幸い、大学2年の終わり頃に蛋白尿は消失し、腎炎は軽快した。

 大学5年生の臨床講義で池見酉次郎先生の心療内科の講義に出会った。過換気症候群の患者さんが実際に発作を起こすのを目の当たりにして、心の問題が身体症状に大きく影響を及ぼすことに大変興味を持った。卒業後の進路や研修先で卒業式ぎりぎりまで迷っていた。心療内科は内科と心の問題を扱うことができる科であり、生理・心理・社会的側面から全人的に患者さんをとらえて治療できる診療科と考えて、心療内科を選んだ。

 心療内科に入局して、1年目は九州大学医学部心療内科で研修を受けた。気管支喘息、アトピー性皮膚炎、摂食障害、過敏性腸症候群等の患者の治療をすることで心の状態が病気に影響していることを知った。また、自己分析レポートを書いたり、血圧のバイオフィードバック療法や自律訓練法を体験することで、自分の心や体の状態を気づく方法を知った。

 2年目の内科研修時に、腎炎や全身性エリテマトーデスなどの自己免疫疾患の患者さんを受け持った。ステロイド療法による治療や対症療法が主体で根本的治療はなかった。自己免疫疾患は免疫が関係しており、腎炎の病態解明にもつながると考え、免疫の研究に興味を持った。また、心身医学をサイエンスとして確立するにも免疫の基礎研究が必要と思い、九州大学医学部細菌学教室で免疫の研究を開始した。マウスのリンパ球を用いた動物実験を行なったが、ちょうど免疫学が進展して新しい知見が分かってきた時期で面白くなり、3年ぐらいの研究予定が7年半細菌学教室で過ごした。その後、自分には細胞や分子レベルの基礎研究より全体像をみるような思考、研究が向いていると考えた。栄養、ストレス、微生物などの環境因子が神経・内分泌・免疫系の生体ホメオスターシス機構に及ぼす影響について研究したいと思った。また、いろいろなストレスは最終的には食事、睡眠、運動などの生活習慣に影響を及ぼすことから、栄養の研究は心身医学の基礎研究と考えた。そして、世界的な免疫学者で栄養と免疫に関する研究をしているアメリカオクラホマ医学研究所のロバート・グッド先生のもとで研究する機会に恵まれた。自己免疫病発症マウスを用いてビタミンやミネラルは適量なうえで、総カロリー摂取量を通常の6割に制限することにより、免疫機能は保持されて寿命は2倍に、カロリー制限に加えて脂肪を制限することにより3倍に延びることを明らかにした。

 帰国後、喘息を中心にした内科研修を4年半行ない、心療内科に戻ることになった。基礎研究は心身相関の研究として身体的、心理的ストレスが免疫機能や喘息、糖尿病、狭心症、肝疾患のモデル動物の病気の進展に及ぼす影響を行なった。

 臨床では気管支喘息、アトピー性皮膚炎、糖尿病、摂食障害、慢性疼痛、うつ病、不安症などのストレス関連疾患の診療や研究をした。病気は素因と人生体験の結晶であり、心理的因子と身体的因子の比重論で考えることが重要であると考えている。ストレス反応はストレスの種類・強さや持続時間、受け止める側の身体的・心理的状態及び食事・睡眠・運動・趣味等の生活習慣が関係している。ストレスとして心理社会的因子があるが、これには家庭・学校・職場の人間関係、社会、経済、文化や教育などが影響を及ぼす。心身の健康には、ストレスを長引かせないことが重要である。ストレス状態から解放され、リラックスすることにより心身の生体防御能の回復や精神の安定につながる。たとえば家庭の不和などのために家庭の中でリラックスできない場合、さまざまなストレス病が生じることになる。夫婦の問題が子どもの病気として出てくることもある。そして夫婦の問題は社会や経済の影響を受けており、診療には社会経済面や医療制度も視野に入れる必要がある。

 平成20年から6年間の九大病院長の時代には救急医療、高度先進医療、病院や診療所との連携、地域医療、医療安全や医療制度等の問題に対応してきた。高齢化社会を迎えて、医療や社会補償制度のあり方は人々の心にも大きな影響を及ぼしている。今後の医療は介護や福祉との包括ケアの方向にきており、予防医療や健康増進に力を入れることが必要である。

 平成26年10月から九州大学総長に就任している。産業界や行政の人や外国からの訪問者と会うことが多くなり、産学官連携や社会のグローバル化、教育や政治について考えることが多くなった。現在の世界情勢はいろいろなところで政治的、宗教的対立や紛争が起きている。紛争には偏見や差別があり、教育が大きな影響を及ぼす。戦時状態では子どもを訓練して殺戮まで行なわせている。一方、経済は国境を越え、グローバル化になり、競争がますます激しくなっている。貧困、食糧難、感染症、移民などの社会問題などは個人の心にも大きな影響を及ぼしている。また、自然の環境破壊は進み、温暖化になり、生物の生態系や気候変動も起きてきている。民族、言語、生物などのいろいろなことの多様性を尊重し、調和のある社会や自然を目指すべきである。これらのことについて大学から発信していくことの重要性を感じている。

 

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