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心と社会 No.166
巻頭言

地域生活支援と精神医療との連携

門屋充郎
十勝障がい者総合相談支援センター/p>

 この冊子を読まれる方々のなかには最近NHKが放映した『幻聴さんと暮らす〜“べてるの家”の奥深い世界〜』を見た人もいるのだろうと想像しながら書き始めた。我が国の精神保健関係者で「べてる」の活動を知らない人はいないに違いない。地域で幻聴さんと共に普通に生きている現実は、症状を抱えて地域で暮らすことのあたりまえを1978年の「どんぐりの会」設立以来続けている統合失調症の人たち、精神障害を持ちながら住民として暮らし続ける人たちから私たちは何を学んでいるのか。全国から沢山の見学者が訪れ、「べてる祭り」に何度も足を運び、全国各地の講演会などでその活動を知った多くの人達は、感激し、なるほどと納得し、多くを学んだと感想する人たちがいる。その学びをそれぞれの活動地域でどのように実践しているのだろうか。「べてる」ほど知られていない私の活動地域、北海道十勝圏域の地域精神保健活動にも、全国から沢山の見学者がやってきた。「べてる」の活動とほぼ同じ時期から十勝モデルの実践も始まった。1990年前後には十勝・べてる・遠軽の当事者と医療関係者が毎年交流キャンプを続けていた。十勝では、国の増床計画通り1960年代から精神科病床を作り、1970年過ぎには全国平均と同じ病床地域となった。ところが普通に精神保健活動を行うと空床は増え、1980年以降にはあたりまえのように病床は削減を続け、有床精神科病院は6カ所から4カ所となり、2015年に1,012床から461床まで減った。2018年には431床になることが決まっている。1万人に27床だった病床は現在13床となり、4病院の平均在院日数は97日となった。完結型診療圏ゆえに大変わかりやすい精神保健実践である。十勝モデルは1993年、ICJの政府への勧告書にも紹介された。1999年世界心理社会的リハビリテーション学会は世界83カ所の地域精神保健のベストプラクティスにも選ばれた。私は2000年に精神障害者リハビリテーション学会を開催し、米国のマディソンモデルを我が国に紹介し少しは知られるモデルとなり、以来、現在まで多くの方が視察研修を続けている。私は数年前、大熊一夫氏に誘われトリエステを訪問・見聞し多くを学んだ。その時に見せられた映画「むかしMattoの町があった」は全国で鑑賞会が続けられている。9月30日にはその映画のDVD付きの本、『精神病院はいらない』(大熊一夫編著 青土社)が発行された。

 私が言いたいことはそのイタリア訪問時に衝撃を受けた話である。それは「2,000人ほどの日本人が見学に来たのだから、きっと日本の精神医療も変わったのでしょうね」ということだった。「ベてる」を知った多くの人達、十勝に来てくれた人達、「ベてる」や、私を呼んで話を聴いてくれた全国各地の方々、一様に共感を得ていただけたと思うが、日本の精神保健は変わっていない。愕然とする現実である。これは一体何なのか。変化しない現実に憤りしか表現できるものはない。

 1970年2月医学書院から『社会精神医学』が刊行された。私の恩師である大江覚医師と精神科医2人、私を含む3人のPSWが発行年の9月からこの本の抄読会を開いた。この本には今でも通用する内容が書かれていた。例えば「(日本の精神病院は)“薬づけ”により医師の手に余るほど多くの患者を定員を無視して詰め込むことができるようになり、社会復帰への働きかけの必然性も医療の営利性ゆえにさえぎられ、その結果、従来の日本の精神医療の暗い歴史が生み出した監禁中心主義的性格を払しょくすることができずに、長期在院者の数を累積させ続けているのではないか」とか、「入院は常に必ずしも最良の治療法ではない。患者を病院外において、社会との接触を保たしめることこそ、精神科医のそして精神病院全体の目的でなければならない。このことをいかにして社会に呼びかけて世間の理解を求めるか、そしてまたどのようにしてこれを組織化し体系づけていくかということこそ今日の精神病院の最も緊急かつ重要な使命であると考える」。これは今から46年前に出された本に書かれているのだから、私たちは一体全体何をやり続けてきたのだろうか。恥ずかしい、我が国にまともな精神科医は沢山いるだろうに何故変わらない。私は今まで沢山の進歩的で革新的で、理想に燃えた精神科医とも出会った。多くは今も発行されている雑誌『精神医療』にわくわくする論文を書き続ける人達でもあった。しかし、いつのまにかその人たちも営利主義の精神科医療の下で現実を変えることなく、批判だけを繰り返しながら多くの精神病となった人を犠牲にし続けてきたと考えるようになった。バンクーバーモデル、マディソンモデル、イタリアモデル等々に視察や研修に行かれ、「ベてる」の実践に感心した多くの人たちは精神保健ツアーの単なる観光客だったのか。トリエステでの「沢山の人が来てくれた日本は変わったのでしょうね」の言葉を忘れることができない。観光客でしかない精神保健関係者、現実の我が国の精神保健は変わっていないのである。私は地域精神医療中心への転換を目標と定め、十勝地方の精神病となった人たちが地域で暮らすを当たり前にする小さな実践を進めてきた一人であった。

 我が国の精神科医であれ看護師であれ、PSWであれ、精神保健のモラルをもってして、使命感に基づき患者の幸せを一義として実践するであろうに、何故に現実はいつまでも精神科病院医療中心なのであろう。本当に現状の精神科医療が精神病となった人への最善の医療とお考えなのだろうか。数年前にある雑誌の巻頭言に「日本の精神科医療は世界一」と書かれた某団体の代表である精神科医がいた。我が国の精神科病院中心医療が患者にとって幸せなあり方と豪語するからには変わる必要性は全くなく、私が求める精神保健医療福祉改革は不要なことと一蹴されているのだと思うと悲しい。

 私の戦略は国の改革ビジョンに関わったころに変化した。以前から論じていた精神保健福祉法解体、「福祉」を障害者支援制度に合流させることに奔走した。国連の障害者権利条約は大きな後押しとなってくれて、地域で暮らすをあたりまえに、他の者との平等、社会モデルを基本とすること、合理的配慮などなど、これらが精神障害者にも適応され、私は米国で脱施設化後に生まれたケースマネジメントによる地域生活支援を担当する職業、ソーシャルワークに基づく相談支援専門員を制度化し育成することに奔走している。時代は確実に変化している。精神保健は精神医療だけでは成り立たない。地域生活支援が力強く頼りがいのある存在へと成長することにより、地域精神医療と連携できる時代が遠からずやってくることを念じて稿を終わりたい。

 

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