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心と社会 No.97 30巻3号
特集 「こころ」と「からだ」

<基調講演>
「こころ」と「からだ」と「社会」

名古屋大学 名誉教授 桜クリニック(名古屋)院長笠原 嘉

はじめに


 「こころ」と「からだ」の関係の大事さについてはよく話題になりますが、本誌の名前のように「こころ」と「社会」の関係ももちろん大事です。いや「こころ」だけでなく、「からだ」だって「社会」と無関係でないことは、WHOが最近創作した生活習慣病という新語からもわかります。というわけで「こころ」と「からだ」と「社会」をひっくるめて演題にしました。

 例えば「からだ」は丈夫でも、また「こころ」の中に特別の悩みがなくても、現実の「社会」生活の中に入っていけないとなると、その人の健康度が少し気になります。「からだ」さえ丈夫なら、あるいは「こころ」さえ平静なら、人間はひとりでに「社会」を生きることができるか。というと、どうもそう簡単でないらしい。そういうことを考えさせる人に最近ときどき会うようになりました。

 「からだ」が不自由でも社会参加にとても積極的な人がおられることは、みなさんご承知のとおりです。また、同じ精神的な病気でも、少しよくなると頑張ってアルバイトでもなんでも探してきて、外に出ようとする人がいます。逆に、こころの病気とは診断しにくいのに、社会参加がどうしてもできない人がいます。しかも、その人の性格や生活史をみると、単純な「なまけ者」でないのに、です。

 どうも社会生活に参加するには「からだ」の力や「こころ」の力と違う、もう一つの別の水準の力が要るのかも知れません。

I.「軽症うつ病」を例に


 まず「こころ」と「からだ」と「社会」の密接な関係をみるのに、軽いうつ病を例にとりましょう。うつ病と一口にいっても程度にいろいろあるのですが、最近の二十年、私たちの外来に多くなったのは外見からどこがわるいのか全くわからない程度のものです。精神病といわなければならないほど重くない。

 このことはぜひご理解ください。特に企業やお役所のご関係の方々にお願いしたいのですが、私どもが診断書に軽症うつ病と書くとしたら、それは「精神病」ではないのです。表1はそういう軽症の「うつ病」の症状を「こころ」と「からだ」に分けて整理したものです。左側が「こころ」の症状です。

 うつ病ですから「ゆううつな気分」におそわれることはもちろんです。が、それだけでないことにまずご注意ください。

 「何をするのもおっくう」という生活意欲の低下もうつ病の大事な症状の一つで、抑制といっています。それから「なんとなくいつも不安でいらいらしている」というのも大事な症状です。

 簡略化していえば、うつ病の「こころ」の症状は「ゆううつ気分」と「おっくうさ」と「不安」の三つにまとめられます。

 「それくらいのことなら自分にもときどきある。ノイローゼではないか。手の込んだ甘えだろう。気まま病ではないか」

 どうか、そうおっしゃらないでください。軽くともうつ病はうつ病なのです。なぜなら「ゆううつ気分」といっても、みなさんが何か悲しいことがあって一時期気持ちがふさぐときの「ゆううつ」とは似て非だからです。みなさんの「ゆううつ気分」「不安感」はたいてい長くても数日すれば消えていく。消えないにしてもうすらぐ。病気の時のそれは簡単に消えない。週単位というより月単位で続く。これが一つ違うところですね。

 もう一つ区別をあげると、みなさんの日常に起こるゆううつ気分は、それが直接「この世から消えたい」という痛切な絶望感にそのまま直通することはない。あっても、ごく稀で、よほど特殊な場合以外にない。

 うつ病では、軽症の人でもゆううつ気分のすぐ背後に「いっそこの世から消えたい」という気持ちがくっついている。そのため、およそそういうことをしそうになかった人が突然失踪したり、無断で欠勤を続けたりする。最近の中年初老の人の一見理由のない自殺の中に一定数こういう場合があるはずです。

表1
心理症状
身体症状
  • ゆううつ(気分の障害)
  • 動けない(行動面の抑制)
  • 面白くない(心理面の抑制)
  • 先案じする(不安)
  • 消えてなくなりたい(自殺観念)
  • 睡眠障害
  • 食欲低下
  • 体重減少
  • 性欲減退
  • 自律神経障害

II.睡眠が乱れる


 第三の違いは、しばしば「からだ」に次のように定型的な症状が出ることです。

 表1の右側をご覧ください。うつ病は意外にたくさん「からだ」の症状を出す病気です。ゆううつになるだけではありません。

 一行目の「睡眠障害」はこの後のシンポジウムで詳しいお話があります。睡眠の研究は近年進歩しました。睡眠は精神活動にとって想像以上に大事な機能です。

 特にうつ病にとって睡眠障害は必発といってよいほどの症状です。ほとんど不眠ですが、中には過剰睡眠型の人がいます。

 だいたい睡眠の前半はよいが、後半がわるい。そう申してよいでしょう。そして特徴的なのは早朝覚醒で、ここにしばしば「ゆううつ」気分が一番強くくっついている。だから、本人にとってはとても朝がつらいのです。睡眠は時間の長さだけでなく、起床した後の気分なり元気なりがどうか、ということで、質の善し悪しが決まります。「朝、起床した時、さわやか」ということが大事です。

 私は昔、「朝刊シンドローム」という言葉を提唱したことがあります。平素、朝起きたら新聞を読むのを習慣にしていた人にとって「朝刊がどれくらい面白く読めるか」がその日の精神状態を測るのによい、という意味です。また、いったんうつ病の治った人にとっても、微妙な不調の再発をいち早く感知するのに、朝刊への関心度の高低は役立つと思います。

 からだの症状の第二は「食欲減退」と「体重減少」でしょう。特に体重は二、三カ月のうちにおどろくほど減少します。内科の先生に詳しく調べてもらっても、特に異常はないといわれます。面白いことに、うつ病がよくなると急速に回復します。どうしてなのか、私の知る限り、研究がみつかりません。

 最後の「自律神経症状」もうつ病の症状として起こります。紙幅がないので詳しい説明は省略しますが、純粋な自律神経障害(例えば婦人の更年期の不調)と軽症うつ病の違いは、左の「こころ」の症状があるかないかです。軽くともそれがありそうにお思いなら、一度勇気を出して精神科をおとずれてみては?

III.何をしても面白くない


 しかし、うつ病のうつ病たるゆえんは「こころ」の症状も「からだ」の症状もそれが「社会」参加を強く妨げる点にあります。ゆううつ気分という心の症状があっても、また睡眠障害という体の症状があっても、社会参加が平素どおり支障なくできるのであれば、そんなに心配しなくてもよい。しかし、うつ病の心身の症状は、軽症でもどれもが社会生活の自由を奪う危険性を持っています。

 「こころ」の症状のうちの「おっくう」症状(抑制・抑止症状)を例にとりましょう。病気の重いときは、動作も表情も少なくて、誰がみても社会参加は無理と思えるのですが、だんだんよくなって、第三者にほとんど「病気」と気づかれないほどになっても、会社に出勤する元気が出てこない。時には、本人自身「病気」なのか「なまけ」なのかはっきりしないほど軽くなっても、世の中と触れようという気持ちだけがどうしても出てこない。

 この「おっくう」という症状は、ほんのちょっと残っているだけでも、トゲのように胸に刺さるようです。そういうとき異口同音にいわれるのは次のような言葉です。

「何かしようという心の動きが出ない」
「あれをしたいと思うが、手が出せない」
「手は出せるが、根気が続かない」
「何をしても面白いと思えない」
「生きがいがない」

 この中で一番中心は最後から二番目の「面白いという感覚」でしょうか。一見贅沢至極の悩みのように聞こえますが、現代のうつ病の治療にとって、とても大事な目印と思います。

 うつ病の「おっくう」症状が消えるにつれ「喜び」の感覚が段階的にゆっくりもどってきます。例えば、今まで上っ面しかみていなかったテレビや新聞を熱心にみるようになる。「面白いという感覚」がもどることなしには、新聞も身を入れて読めないものです。先に「朝刊シンドローム」といいましたが、睡眠がとれるようになり朝のさわやかさがもどっても、朝刊が毎朝運んでくる「社会」の臭いに向かって「興味」を示すことができるようにならないと、本当によくなったとはいえないのです。

 米国のうつ病の診断基準は正当にも「喜びを感じられない」という項目を冒頭にあげています。「喜び」「面白さ」のないところに「社会」参加はあり得ないことを、軽症うつ病の人を治療していると実感します。

IV.「社会力」ということ
 うつ病というと「からだ」に関係なく「こころの次元」だけで起きる現象、とお考えになる方があるのではないでしょうか。もちろん、失恋とか倒産とか失業とか、現実に起こる避けにくいショックのために人間がゆううつになることは、洋の東西を問わずありうることですが、今日の多くのうつ病は、右に述べたように睡眠・食欲・体重・性欲といった人間にとっての基幹的リズムが崩れるので、治療には「からだ」を無視することはできません。

 その上、近年の治療学は抗うつ薬や抗不安薬という脳へ効く薬が想像以上に効果を発揮することを明らかにしました。もちろん同時に「こころ」の悩みに耳を傾け、また初期の段階では「社会」生活から離れて心理的にしばらく休息することをつよくお勧めしますが、中心には薬物治療があります。

 もう一つ不安病といって、昔は純粋にこころの病気と思われていた状態に対しても、今日ではクスリをファーストチョイスに使う場合があります。もっとも、クスリがよく効く場合と、それほどでない場合があって、後者にはカウンセリングだとか行動療法とか森田療法という心理療法をつけくわえます。

 今日の精神科医の臨床経験からすると、「こころ」が舞台の悩みだからといって、あまり「こころ」の治療だけに頼りすぎるのは問題でしょう。

 もっとも「こころ」が先か「からだ」が先かという議論は、心身問題といって哲学者が昔から繰り返し論じてきたところです。最近は哲学者ではなく「脳の科学」者がこのことに関してずいぶん新知見を提供してくれる時代になりました。それでも、心身一元論に立つべきか、心身二元論のままでいくべきか、まだわからないことだらけです。

 だから、「こころ」か「からだ」かという難問題はちょっと棚上げにして、この際いっそ「社会参加」という大目的のために治療手段を再編成しなおすことにしたらどうか、と思うのです。

 例えば、クスリも自律神経障害を軽くするためではなく、またゆううつ気分とかおっくうさをとるためではなく、それらを通じて社会参加に必要なエネルギーをその人に回復ないし獲得させるため、と考える。

 一方、カウンセリングや精神療法も「こころ」の葛藤を解いたり生きがいを探す手助けをすることを通じて、社会参加を支えることにこそ意味がある、と考える。

 要するにクスリは脳という「からだ」を通じて、カウンセリングや心理療法は「こころ」を通じて、人間の「社会力」「社会機能」のレベルを上げる。「知力」ではなくて「社会力」という人間のもう一つの大きな機能を中心に据えて考える。

 では「社会力」とは何か。

 実は私にもよくわからないのです。ただ、社会性の発達を支えるのは家族、学校、教師、友人と信じられていますが、それだけではなく、年齢相応に脳の中で発達する「社会力中枢」とでもいうようなものも同時に考えたほうがよくないか。支えるのは「こころ」だけでなく「からだ」でもあるのです。

 社会力については、うつ病や不安病だけでなく、退却症(いわゆる「社会的ひきこもり」)や分裂症という精神病についても考えてみるべきですが、時間になりましたので、このあたりで失礼します。ご静聴を感謝いたします。  

                
文献
1)笠原嘉:軽症うつ病.講談社現代新書,1996.
2)笠原嘉:精神病.岩波新書,1998.

 

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