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No.1 高齢者のもの忘れ

国立精神・神経センター武蔵病院副院長 宇野 正威

1.もの忘れはなぜ起きるのか −記憶のメカニズム−

 軽いもの忘れはよく見られます。たとえば、テレビによく出演する有名人とか政治家の名を度忘れすることは誰にでもあります。眼鏡や鍵の置き忘れでしたら、それ程気にはならないでしょう。しかし、しばしば訪れる近くの店の名を忘れたり、時には自宅の電話番号を勘違いしたりすると、また大事な書類のしまい忘れが続くと、不安になることがあります。歳をとったなと嘆くだけでなく、ぼけの代表的な病気であるアルツハイマー型痴呆の症状かもしれないと想像し、どきっとすることもあります。ところが、健常者にもあるもの忘れと病気の症状としてのもの忘れとは基本的に異なります。前者は、いわゆる度忘れが少し強くなっていることを表します。すなわち知っている筈のことがスムースに想起できない状態です。これに対して、痴呆に見られるもの忘れは新しいことを覚えられない状態です。その違いを記憶のメカニズムから説明しましょう。

(1)記憶には三つの過程がある
 記憶はまず、目や耳を通って周囲から入ってきた情報を憶え込むことから始まります。これを「記銘」といいます。下図を参考にして下さい。脳は記銘した情報を忘れないように、記憶痕跡としてその情報を「保持」しておきます。そうして、保持した記憶を必要に応じて思い出します。これが「想起」です。


図 記憶のメカニズム

 度忘れの場合は、たとえば人の名をたまたまその時には思い出せなくても、他の時にはごく自然に思い出せます。また、他の人がその人の名をいえば「あっ、そうだった」とその人の名を思い出します。これを「再認」と呼びます。したがって、記憶は保持されているのですが、ただその時に想起できないだけです。そうして、このような想起の障害のみであればぼけに移行することはありませんので、良性もの忘れと呼ばれます。一方、周囲から与えられた新しい情報を記銘出来ない場合はぼけにつながる可能性があります。これについては後に詳しく述べることにします。

(2)短期記憶と長期記憶
 新しい情報を脳の中に取り込むには3段階のメカニズムが必要です。図に示しましたように、目や耳を通じて絶えず入ってくる情報のうち、注意の向けられた情報は短期記憶に取りこまれます。短期記憶のごく一部は長期記憶に移りますが、そのほとんどは15秒くらいで消失してしまいます。そこで、これは大事なことだから憶えようと思ったら、その情報を繰り返し頭の中でリハーサルする必要があります。とくにその意味を考えたり、色々連想をしながらリハーサルすると、情報は短期記憶から長期記憶へと転送されます。たとえば、大事な電話番号を憶えるとき、語呂合わせなどを用いて憶えることはよくあると思います。これは記憶の固定と呼ばれ、長期記憶に入った情報は長く保持されます。アルツハイマー型痴呆では記憶の固定が障害されているため、話しているときにはよく理解しているように見えるのに、その話の大筋が長期記憶に移行して行きません。すなわち、その話を憶えていないということが起こります。

(3)エピソード記憶と意味記憶
 記憶にはいくつかの種類があり、エピソード記憶と意味記憶に大きく分けることが出来ます。エピソード記憶は、特定の日時や場所と関連した個人的な経験に関する記憶です。たとえば、「先週の日曜日に友人達と軽井沢でゴルフをした。気候が爽やかであったし、成績もよかったので、楽しい一日であった」などという経験の記憶です。いわば、思い出に相当します。一方、意味記憶は知識に相当するものです。誰もが、小学校と中学校時代に、多くの単語の意味を習い憶えたはずです。日本史の授業では、平安遷都は794年、鎌倉幕府は1192年に成立したなどという歴史的事件の年代を暗記したことがあるでしょう。このような学習を通じて得られた知識は「意味記憶」と呼ばれます。両者は記憶の処理の仕方もそれらを貯蔵している部位も異なっていると思われます。アルツハイマー型痴呆ではとくにエピソード記憶が障害を受けやすいという特徴があります。そのため学生時代に学んだ知識はよく保たれており、ずいぶん難しい話もするのに、最近のごく日常的なことは少しも憶えていないということが起きます。

2.病的なもの忘れ −アルツハイマー型痴呆−

1.もの忘れはなぜ起きるのか −記憶のメカニズム−
2.病的なもの忘れ −アルツハイマー型痴呆−
3.もの忘れは予防できるのか

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