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日本精神衛生会の歩み
日本精神衛生会は世界でも古い精神衛生のNGO(非政府機関)の一つとして明治35年(1902)に創設された精神病者慈善救治会に端を発し、その後幾多の変遷を経て、昭和25年(1950)に財団法人日本精神衛生会として、現在の組織が発足した。
日本の精神衛生運動の歴史と歩を共にしてきた本会の歩みは、次のようなものである。
- 明治、大正期
明治35年呉秀三東大教授が中心となり、当時の東大教授や政治家、経済人たちの名流夫人を主たる発起人に「精神病者慈善救治会」が発足した。
この会はその名称が示すとおり、貧しい精神病者の治療、看護を援助することを主目的としたものであったが、それに関連して精神病の症状、原因、予防、治療や早期入院の必要性などについて世間一般に対する啓蒙運動も意図していた。
会はその後、時代や活動内容の変遷と共に、大正10年(1921)に「精神病者救治会」、昭和2年(1927)に「救治会」と名を改めていった。
- 昭和初期〜終戦まで
精神病者慈善救治会と並行して、昭和元年(1926)三宅鉱一東大教授を会長として「日本精神衛生協会」が発足した。
この会は、昭和2年から雑誌「脳」を発行し、活発に啓蒙運動を展開していった。
昭和6年(1931)、日本精神衛生協会は正式に発会式を行い、その事業として、雑誌「精神衛生」及びパンフレットの発行、精神衛生に関する調査研究などを始めた。
昭和16年(1941)、戦時体制の強化により、救治会、日本精神衛生協会、日本精神病院協会の3団体は発展的に解散し、昭和18年(1943)、新たに「精神厚生会」が発足した。
- 戦後〜現在
精神厚生会は、昭和25年(1950)名称を「日本精神衛生会」と改め、理事長に内村祐之東大教授が就任して再出発することになった。
出版活動も再開され、昭和27年(1952)、「精神衛生」36号が再刊された。
昭和44年(1969)秋元波留夫理事長の下で、新たに「心と社会」とニュースレターが発行されるようになった。「心と社会」は現在年4回、部数2500部を発刊している。
精神保健福祉の啓発普及活動としては、精神衛生相談、企業の精神衛生研修会、学校精神衛生管理者の研修会、精神科作業療法士講習会、またワークショップ「生活技能訓練演習」、研修会「高齢者の心身ケア」などを実施してきた。
昭和58年(1983)以降毎年2回、全国各地で精神保健シンポジウムを開き、また昭和62年(1987)から毎年1回、東京で日本精神保健会議《平成13年より「メンタルヘルスの集い(日本精神保健会議)」》を開催し、一般市民も交え、現状分析と提言を行っている。
国際的には、世界精神保健連盟(WFMH)との連携を強め、日本で開催された世界大会(1993)では、本会の島薗安雄理事長が組織委員長を務めた。
平成9年度より加藤伸勝、平成13年度より原田憲一が理事長を務め、平成14年(2002)には、精神病者慈善救治会設立100年記念式典および講演会を行い、『図説 日本の精神保健運動の歩み』を発刊した。
平成18年(2006)の「メンタルヘルスの集い(第20回日本精神保健会議)」では、満100歳の秋元波留夫会長(当時)の「精神衛生運動の前進をめざして―回顧と展望―」と題する歴史に残る記念講演があった。
平成18年度より広瀬徹也が理事長を務め、平成24年4月1日に公益財団法人日本精神衛生会となった。
平成26年より牛島定信、平成28年より小島卓也が理事長を務めている。
日本精神衛生会の主な事業と活動
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