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心と社会 No.109 33巻3号
巻頭言
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心神喪失者処遇・観察法案は人権侵害か?
通常国会に提出されていた「心神喪失者等処遇・観察法案」(仮称)は衆議院で議了せず、審議は先送りになった。これで心に病気をもつ人に対する「予防拘禁」のおそれがなくなり、患者さんの人権がそれだけ守られることになる、と単純に喜んでいいものであろうか。この法案は、殺人、強姦、傷害、放火など主に対人的な重大犯罪を行った者で、精神障害のために責任能力がない、つまり物事の道理を理解し、その理解に基いて行為する能力が失われている、または著しく損われていると判断された者は、裁判所が、裁判官と医師の協議の上で治療施設に入所させ、出所した後も治療の継続がなされるように見守る、という主旨のものであって、本来そのどこが人権侵害のおそれがあるのか、首を傾げるようなものなのである。諸外国でもこの種の制度をもっていない国は、とりわけ先進国ではほとんどない。それが日本精神神経学会がこの四半世紀にわたって、そのための「特別委員会」まで作って反対し続ける、という事になったのは何故であろう。その理由は、法務省が当初刑法改正案の中に、「保安処分」という用語で、裁判所が触法精神障害者の施設収容を言い渡す、という制度を提案し、この「保安処分」という用語がドイツ第三帝国での非常事態における政治犯の予防拘禁に対して使われた「保安処分」(Sicherungverwahrung)というのと用語が同じで、それが誤解または曲解された、ということもあるかも知れない。「治療処分」と名を変えてからも、この反対が続いたのは、当時の「反精神医学」という潮流の中で、精神医学が社会の安全ということに少しでも手をかすことは社会の変革を阻害するものであるという考えが潜んでいたからであろう。こういう考えが下火になってからでも、更にそういう考えにはじめから取り憑かれていなかった人たちの間でも、そしてとりわけ一般の患者さんやご家族の間でも、この種の制度に不安や反対があるのは「精神障害者だからと言って、これに特別扱いの法手続を定めるのは、心の病気をもつ人をはじめから危険視しているのではないか?」ということが言い立てられたからである。しかし、少し考えてみてほしい。一般人が刑法犯罪を行えば刑法・刑事訴訟法によって処分を受ける事になる。犯罪をおかしていない者とは法的地位が異なることになる。それが心の病気をもっている場合にだけ、重大犯罪を犯している者もそうでない者も、同一の精神保健福祉法の枠内で処遇されるというのは、かえって、精神障害者をひとしなみに危険視するという偏見を助長することになっているのではないか。かつて日本精神神経学会の中では、触法行為を行った者とそうでない患者さんを別の病棟で処遇するというのはそれだけで差別であるという議論があった。今日まで、専門の司法精神病院も保安病棟も存在しないという状況の中で、例えば有機溶剤や覚醒剤中毒で心神喪失となり、一般の精神病院に入院した者がおとなしい患者さんを殺傷するという事件は毎年起きている。これでは患者さんの人権はおろか人命まで守られていないことにならないであろうか。同法案に対する反対論の中で、精神科医や弁護士たちによって唱えられ、大新聞もこれを「目玉」として取り上げているのは触法精神障害者の危険性の予測は完全にはできないのだからそれに基いて、施設入所を決定するのは予防拘禁ではないか、というものである。それなら精神保健福祉法29条が、精神障害で入院の必要があり、自傷他害のおそれのある者を措置入院の要件としているのはどういうことになるのだろう。自傷他害のおそれの判定が全くできないと考えるなら、精神保健指定医はその資格を返上すべきであるし、とりわけ国公立病院や措置患者を入院させている指定病院で診療業務に当るべきではないことになる。措置入院の場合は短期の臨床的な予測であって話が違うというのもどうだろうか。心神喪失者法案の対象となるのは、現に、直近に重大犯罪を行った事例であり、この場合、措置入院にして、短期に安易な措置解除が行われた結果、重大犯罪につながった事例は、大阪教育大附属池田小事件だけではない。筆者も司法精神鑑定でこのような事例に遭遇することは少なくない。現に妻殺しの後、覚醒剤精神病と診断され、心神喪失として措置入院となり、急性症状が消失すると直ちに措置解除となり、このようにして次々に三人の妻を殺害した事例さえあるのである。現在、危険性の予測については、臨床精神医学、犯罪学、行動科学の見地からの予測研究はかなり進んでいる。人間の行動を100%予測するということはだれにも不可能である。しかし、新法での入所時の危険性の予測は、その後定期的な病状審査によって更新される。その際、専門施設で、専門家によってなされる予測は、上記の三つの見地を総合することで精度がより高いものになるであろう。専門施設ができることによって、その経験が蓄積され、精度はなお高まるのである。とりわけ驚くべきことは、新法が初犯を防げないという批判が学会の担当者から出されていることである。初犯を予め防げというならこれは予防拘禁ではないか。初犯の防止はそれこそ精神保健福祉法の領域であり、一般人からの申請通報に対する保健所や精神保健福祉センターの対応をもっと充実し、迅速に、責任あるものにするという他はないのである。一般の患者さんやそのご家族にとっても、重大事件をおこした事例はきちんと処遇されている、という安心感を世間一般に持ってもらえることが、偏見を防ぐことになるのであり、それは報道に口封じをつけるよりも結果として、心に病気をもつ人への危険視や差別を防ぐために有効なのではないだろうか。
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