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心と社会 No.122 36巻4号
巻頭言
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一例報告のこと
八十歳を過ぎて記憶があやしくなり、加えて夜間せん妄もはじまった母親に付き添って五十歳代の子息が、月に一度、私のささやかなメンタル・クリニックにやってくる。
彼は三十数年前、二十歳代で統合失調症を発病し、私の患者になった。その後、本人に代わって実に規則正しく薬を取りに来た母親の努力に支えられて(と私には見える)、結婚し、小さな塾の助教師になり、一子をもうけた。ごく少量のハロペリドールを服用して今日に至る。
その彼が今、頼りなくなった母に寄り添って私の前にいる。私への挨拶、老母への気遣い、医院スタッフへの応対、どれをとっても過不足ない。老母を看護する役割を担ってから、オドオドした挙動は完全に消えた。
これ以上詳細を語ることははばかられるが、縁あって三十年余、医師患者関係を続けていると、こういうほほえましい光景にも出会える。医師の冥利といってよい。
こういう晩年軽快ケースは結構あるのではないか。それは統計的な課題ではなくて個別的ケーススタデイの課題である。『精神病』(岩波新書、1998)を書いたとき、西丸四方、臺弘、藤縄昭ら長老の経験を聞き書きした。もっと多くの方の経験を集めたいものだ。
なぜなら、患者さんやそのご家族にそういうケースがありうることを話すことは、とても意味があると信じるからである。
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この数年、外来で治療中の女性統合失調症者が「配偶者がみつかり結婚する」というので、主治医として喜んだり案じたりさせられることが三度あった。
一人は三十代後半、二人は三十代前半。今のところ(といっても長い人でもまだ結婚生活に入って三年余にすぎないが)、案じるより生むがやすしで、結婚生活は順調らしい。
昔にももちろんあった。が、私の経験の範囲ではこのところ少し多い印象がある。病気が軽症化したからか、薬がよくなったのか。あるいはインターネットのせいか、結婚斡旋機関が上手になったのか。
ただ、困るのは結婚すると服薬のコンプライアンスが悪くなることだ。ときには両親が、娘はそもそも病気でなかったのだ、と考え始めることもある。
先日、結婚六年目の夫人が、久しぶりにかすかに幻聴が聞こえるといって、はるばる訪ねてくれたのはうれしかったが、初対面の夫君は、妻は怠け者であって病気ではない、といいはり、かつての主治医としては嬉しいような悲しいような複雑な気持ちを味わった。一児をもうけ、主婦としても結構しっかりやっているのだから、夫が妻の病気をネグレクトしたくなる気持ちもわからないではない。でも、少量のクスリだけは続けて、と医師はついつい思ってしまう。
病状の安定した女性とそのご家族の真剣な挙子願望にどう応えるべきか。ここでもやはりケーススタデイが欲しい。
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ケーススタデイといえば、米国にジェナイン家の四つ子( the Genain Quadruplets) という有名な一例の追跡報告がある。報告者であるNIMHにちなんで、ノーラ(N)、アイリス(I)、マイラ(M)、ヘスター(H)と仮称される一卵性の四人の女児は、16歳から24歳と発病時期こそ違え、全員が統合失調症と診断される状態にいたった。その病像、経過は四人ですこしずつ違った。このすこぶる稀有な、教えられるところの多いケースについて、米国人は1960年以来十年毎くらいに定期的にケース報告を行ってきている。このケースの大まかな紹介は、例えば笠原嘉「遺伝と環境」1966にある(笠原嘉『精神病と神経症』第一巻、みすず書房,1984 に収載、p414─418 )。
最近久しぶりに「39年のフォローアップ」と題して六十六歳になったジェナインの四人について報告が行われ、これまでの報告と比較された(Mirsky,AF et al;Schizophrenia Bulletin Vol 26,No3,p699─708,2000)。
その結論は、今回の神経心理学的テスト結果はこれまでのそれに比して全般的に安定もしくは好転しており、この病気の認知的な症状が本来的に変質性衰退性のものでない、という仮説を支持する、とある。
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人間の「全体」がかかわる統合失調症などの追究には、大きな数の統計と同じくらいに、一例二例のケース報告が大切だと思う。
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