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心と社会 No.123 37巻1号
巻頭言

「児童・少年犯罪被害と社会の守り」

鑪 幹八郎
(心理臨床学会理事長)

 21世紀は心の時代といわれながら、私の周囲を見回しても、あまりそのような感じはない。反対に心の荒廃のほうがひどい状態になっているという雰囲気がある。最近マスコミの報道で目立っているのは、幼児や学童の犯罪被害の様子や建築設計の強度偽装の問題であろうか。いずれも重大な社会問題である。いずれも人間的な尊厳の問題や倫理性の問題に関係した大きな事件のように思われる。この文章では、幼児・児童が犯罪に巻き込まれることについて、臨床心理の立場から私の思うところを少し述べさせていただきたい。

マスコミの報道があると、私たちは本当に、わが国は犯罪天国になりつつあるのかと危惧をいだかされてしまう。本当に犯罪、ことに青少年の犯罪は増加しているのだろうか。わが国の社会は徐々にだめになりつつあるのだろうか。この疑問に答えるのは、警察の統計資料や情報を確かめる必要があるだろう。

統計をみてみると、ここ数年の間に、この種の犯罪が必ずしも著しい増加を示しているとはいえないようである。言い換えると、このような事件は毎年、同じぐらいの頻度でいつも起こっているのである。事件に関しては、特に最近の問題というのではなく、これまで一貫して社会的に大きな問題であり続けてきていたということがわかる。それではなぜ、特に、現在このように社会問題になるのかが問われねばならないが、ここでは、それに深入りしないでおきたい。

精神保健や精神衛生の領域で、犯罪や交通事故とそれによる死者、自殺、これに不登校、引きこもりなどを含めると、私たちは多くの心の問題にぶつかっていることがわかる。これらの領域で、精神医学は中心的な役割を果たしている。臨床心理学も少し役に立てるようになってきた。臨床心理の領域の中で、犯罪心理、交通心理、自殺に関する臨床心理、学校臨床心理、産業の臨床心理、精神病院などの病院臨床心理にかかわっている人は少なくない。

しかし、今のところ、いずれも後追いの心理学になっている。事件に追いつかない。事件が起きてしまってから、何とか説明をしようとするのである。話のつじつまはあっているかもしれないが、それでは犯罪や自殺、交通事故、不登校などがくい止められるか、つまり、起こらないように予防ができるかというと、それに対しては今のところ、ほとんど無力といってもよいのではないだろうか。

ところで、世界の中で精神医学や心理学がもっとも発達しているアメリカで、犯罪は減っただろうか。交通事故は少なくなっただろうか。自殺は少なくなっただろうか。いずれの問いに対しても答はノーである。臨床心理にかかわる人々は懸命に原因を追求して、予防のための資料集めに努力しているが、犯罪の予防をするのは本当に難しいことである。

児童虐待についてはどうだろうか。アメリカでは法律が整って子どもたちが守られているという。そうだろか。法律は最後の手段のように思われる。アメリカでは、隣人の善意でこのような犯罪をくい止めたり、教育でくい止めたりすることが不可能な状況がある。キャンパス・ポリスが拳銃を携帯して大学や高校に普通に配置されている。はっきり警察力によって法律で抑制するしか方法がないのが、アメリカの現状ではないだろうか。

話しは少し変わるが、私はアメリカでしばらく生活したことがある。ニューヨークでは知人のアパートに行くと、鍵は大体3重になっていた。チェーンがあって、メインの鍵があって、上下に2つの鍵が別につけてある。いろいろなところに鍵をかけるので、鍵はかなり重い日ごろの持ち物である。外に出ると、かばんやハンドバッグはしっかり脇に挟むか、取手をしっかり握っている。いつも、周囲に注意を払っている。危ないと思われることや、危ないといわれるところは遠回りしてでも避ける。また、近づかないということを実行していた。精神的にはいつも緊張している感じである。慣れると、緊張して疲れることは感じないが、しかし、自分を監視し、また周囲に注意を怠たらないのは、多くの隣人の習慣であった。日本からの多くの訪問者が、「ニューヨークに居ると疲れる」ということを何度も聞いたことがある。実際にそのように自分も感じていた。こんな暮らしが近代的なよい暮らしだろうか。

わが国もその方向に進むのだろうか。わが国の社会や親子関係もしだいにアメリカの親子関係のように、隣人の善意や教育の力ではどうしようもなくなってきているのだろうか。今までのわが国の優しい人間関係がなくなったのだといわねばならないのだろうか。この問題を規制したり、くい止めたりする方法が法律以外にないのだろうか。力で抑えるのは人間関係の教育力や優しさを否定する発想であるように思われる。臨床心理に携わる私たちは力で抑え込んで片付けてしまうことにならないように、ささやかながら頑張っているが、やはり後手となっていることは免れないところである。

報道されているような悲しい事件が、なぜ、どのようにして起こるかをはっきりさせ、その防止対策を考えることは、いうまでもなく大変重要なことである。しかし、この種の犯罪が増えたから、社会的な防衛のために、すぐに特別の対策を講じなければならないというのは、少し話が短絡的なように思われる。そのような対策は付け焼刃になりやすく、労多くして、あまり効果のないものになりやすいのではないだろうか。対策はずっと以前から求められているのであり、マスコミの報道によって、突然に事情が悪くなったり、変わったりしたのではないのだから。

さらに、学校や近所の対処方法も難しいようである。知らない人から話しかけられたら、応えないで「ノーと言いなさい」「逃げなさい」「話しかけることばを信じてはいけません」ということを子どもに伝えることは、重要であり適切な対処方法だろうか。これらはただ人間不信を植えつけることに過ぎないのではないだろうか。子どもは犯罪者と一般の成人を区別できるはずもない。教師は学校で教えても、教師自身も一歩外に出ると、見知らない大人になる。つまり、自分自身に対して「私を信じてはいけません」と教育しているのだろうか。そして学校では、「私の教えることを信じなさい」と教えるのだろうか。同じ人物に対して、場面によって違うように対処することを子どもに教えるのは、子どもの心に混乱を与えてしまうのではないだろうか。

子どもたちは周囲を信じて、自分たちは守られているという感覚をもつことがたいへん重要である。これは乳幼児の研究や母子関係の研究や子ども時代に受けた経験が成人になってどのようになるかの研究などで、問題は少しずつ明らかになってきている。

わが国の多くの人が関心を持っている青・少年犯罪の被害や加害に対して、どこから起こるのか、どのようにしたら防止できるのか、また予防することができるようになるのかに関心を持ち続けて、この問題を理解する努力をしていきたいものだと思っている。


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