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心と社会 No.127 38巻1号
巻頭言
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共感性を阻害する「知能開発」の問題
伊藤 隆二
(横浜市立大学名誉教授、弘前学院大学大学院教授)
今から30年ほど前に、私はカリフォルニア大学(UCLA)の神経精神医学研究所(Neuropsychiatric Institute, NPI)で、専門の神経心理学の知見を活かした「知能開発」研究に取り組んだことがある。その頃すでに米国をはじめ主要国では国民の「知能開発」が焦眉の課題となっていて、NPIには諸外国から研究者が来ていた。私はそれらの研究者との共同研究にも参画し、一定の成果を上げて帰国した。そして早速、手始めにゼミの学生たちの「知能開発」を開始しようとしたその矢先に、私は彼らには「知能開発」よりも前に解決が迫られている重大問題があることに気がついた。それは幼少期から「知能開発」競争に晒されてきた彼らに共感性が著しく乏しいということだった。その共感性とは相手の立場に立ってその心のうちを主観的、直観的に了解し、共に悩み、共に喜び合う思いやりの心を指すが、知能の向上した彼らは相手の心に鈍感で、たとえ大きな損害や深い心の痛手を与えることを知っていても、自己中心的な振る舞いをする傾向が強いことが判ったことによる。
共感性の源泉には、苦しんでいる人を見た瞬間、思わず駆け寄って手を差し延べる純粋で深い愛、すなわち「無償の愛」がある。そこには打算が突き入る余地はない。その共感性が知能の向上とともにますます希薄になっていくならば、明日の人類社会はどうなるだろうかと、私は真剣に考えた。確かに人間の知能が向上していけば科学・技術は進歩し、人類社会に豊かな富がもたらされ、一見誰もが裕福で、便利で、快適な生活を送ることができるようになるかも知れないが、その人類社会は愛のない無機質な社会に変貌してしまうのではなかろうか。
ちなみに他国と比較して知能の高い人が多いと言われているわが国の現状を垣間見ると、自然破壊や環境汚染が進んでいる。豊かな富を求めた開発のためである。また、経済至上主義に立つ市場原理が社会の隅々までゆきわたり、人間はモノのように扱われる、いわゆる「人間のモノ化」ないしは「非人間化」の傾向が広がっている。本来「無償の愛」を中心としていた医療(ナイチンゲールやデュナンを想い起こそう)や教育(ペスタロッチやモンテッソリを想い起こそう)、それに福祉の世界にまで、今は市場原理が導入されつつある。そういう世界でも「人間のモノ化」の傾向が広がりつつあるということだろう。またわが国では凶悪、かつ残忍な非行・犯罪が後を絶たない。「知能犯」と言われる詐欺、横領、それに背任も横行している。公徳心が廃れ、特に性にまつわる風紀の乱れも著しい。子どもの世界ですら「いじめ」が頻発している。それらもまた共感性の喪失に由来すると言えるだろう。言い換えれば、共感性の喪失は人間の尊厳を侵す元凶なのである。
ところで知能は学習・思考・創造の基礎をなす能力で、人間・動植物・モノ、その現象を客観的、合理的に説明する際に有効に働く。そのためか多くの人は知能が向上していけばいくほど客観性・合理性を基礎として進歩してきた科学を重視し、科学的でないことを軽視しがちになる。ある教師が「氷が溶けたらどうなるか」という問題に「水になる」と答えた生徒を褒めたが、「春になり、魚たちが喜ぶでしょう」と答えた生徒に対して「科学的でない」と叱責したという話を聞いた。
しかしながらどんなに知能(人智)が向上しても客観的、合理的に説明できない絶対の真理があることを知らねばならない。典型的な例をあげるならば、私たちは「生きている」という生命の現象を説明することはできるが、生命それ自体を科学的に説明することはできない。それどころか生命それ自体を見ることができない。生命は人智を超えた絶対の真理だからである。その絶対の真理の実相を仮に「大いなるもの」(something great)と呼び換えてみよう。その「大いなるもの」は宇宙を創られた。また太陽を創り、この地球に光と熱、それに空気と水を与えてくれた。花を創り、小鳥を創り、魚を創ってくれた。人間を創り、愛を与えてくれた。そしてすべてのものが繋がり合い、調和を保つように、すなわち平和であり続けることを良しとされた。それゆえにその「大いなるもの」に感謝し、讃美する人はおのずと敬虔な心を抱く。その心が真の幸福をもたらす。咲いている花に「どんなに嬉しいだろう」と心を寄せる、樹間を飛び交い、楽しそうに囀る小鳥に自分の生命感を響き合わせる、氷の溶けた小川で喜んで泳ぎまわる魚を見て喜ぶ、宇宙意識をもって夜空に光る星たちと言葉を交わす、太陽の光を全身に浴びて生命感を躍動させる、そして地球上の仲間と共に喜び、共に泣き、共に額に汗して尽くし合う――それが真の幸福というものだろう。
地球的規模から見て、従来の富や便利さや快適さを求めての、また個人的栄達のための「知能開発」を根本から見直すべきだ。共感性を阻害する「知能開発」は絶対の真理に暗い、不幸な「高知能の非人間」(ずる賢い人間)をこの地球上に量産し続け、やがて「地球破壊」を招くことになりかねないからである。
蛇足であるが、先のUCLAの研究所からは私の「知能開発」の研究成果を早く発表せよ、世界中の研究者が待ち望んでいる、と幾度も催促されたが、私は今日まで発表原稿を筺底深く眠らせたままである。
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