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心と社会 No.130 38巻4号
巻頭言

精神科の直面する課題─日本精神神経学会の対応

小島卓也
(日本精神神経学会 理事長)

はじめに

今、精神科は重要な問題に直面している。その一つは「自殺予防」、「子どもの心のケア」をはじめとする社会の精神科、精神医学に対する期待と需要の高まりである。これはわれわれ精神科医が社会に貢献し、信頼を獲得するためのよい機会でもある。もう一つは精神科の医療体制をどのようなものにしていくかという問題である。これまでの長期間の入院中心の医療から比較的短期間の入院治療、種々の社会復帰施設や在宅等で生活できるための支援、社会の中でより質の高い生活の維持などが目標となる。これらの変化に医療費および社会保障費がどれだけきちんと対応できるかが問題である。多くの医療関係者、患者が納得し、安心して選択できるような青写真について衆知を集めて作成する必要がある。本稿では以上の問題についてふれてみたい。

1.社会の精神科に対する期待と需要

1)自殺予防
我が国の自殺者数は平成10年に3万人を超え、その後も高水準が続いており、欧米の先進諸国に比較しても極めて高い水準にある。そこで最も関連が深い疾患のうつ病による自殺を如何に防ぐかということが注目され対策が検討されている。平成18年10月に自殺対策基本法が施行され、内閣府が自殺総合対策大綱を策定し、対策を実行していくことになった。その中に自殺を防ぐための社会的・心理的側面をはじめ多面的な対応が示されている。精神科的には「うつ病の早期発見、早期治療」「うつ病等の精神疾患の病態解明及び診断・治療技術の開発」「かかりつけの医師等のうつ病等の精神疾患の診断・治療技術の向上─臨床研修医の医師養成課程、かかりつけ医師の生涯教育講習会などの機会に学ぶ」「精神科医をサポートする人材の養成、診療報酬を含めた精神科医療体制の充実」「救急医療施設における精神科医による診療体制等の充実」などが盛り込まれており、精神科医の役割とそれをサポートする方策が示されている。新聞やテレビなどでもうつ病の知識を広めるための啓蒙的な番組が報道されるようになった。ストレスなどと関連して発症し、薬物療法などで回復する病気として認知されてきている。関連する学会と連携し成果を挙げていきたいと思う。

2)緩和ケアチームの形成
癌治療の領域でも治療技術の進歩と癌告知が行われるようになって、緩和ケアチームの有効性が理解されるようになってきた。2002年に心のケアを担当する精神科医が参加した緩和ケアチームに対して、緩和ケア診療加算が導入された。精神科医を緩和チーム構成上の必須条件とするシステムは世界でも類がないという。これにより次第に一般病院で緩和ケアチームを備える施設が増え、精神科医に対する需要が高まってきた。さらに2007年4月に施行されたがん対策基本法などが追い風になって、緩和ケアチームを立ち上げる施設が増えてきた。精神科医に対して積極的にこの分野に参画して欲しいという声が聞かれる。日本サイコオンコロジー学会と連携し、精神科医の新しい役割を果たす場として積極的に参加するように働きかけている。

3)子どものこころのケア
不登校、いじめ、家庭内暴力、少年の学校・社会での暴力、親の児童に対する虐待など子どもの心を取り巻く問題が深刻化してきている。特に児童精神科医の不足とその育成が指摘されている。厚生労働省はこれと関連して乳幼児期から青年期までの心を専門的にケアする外来や病棟を備えた「子どもの心の診療拠点病院」を全都道府県に整備する方針を固めた。2008年度から3年間はモデル事業として既に子どもの心の診療に取り組んでいる病院を対象として都道府県を通じて募集し10病院を選定し、費用の一部を同年度予算の概算要求に盛り込むという。11年度以降は全国都道府県に拠点病院を1カ所ずつ順次指定し、それらの病院を後方支援する「中央拠点病院」を1カ所国が運営する医療機関内に設置する方針である。これは厚生労働省母子保健課が中心になって行っており、各病院内に「支援センター」を開設して地元の小児科医、精神科医、看護師らに専門研修を行い、学校、児童相談所、警察など関連機関とネットワークをつくって、心のケアについて支援することになる。

これに先立って平成17年3月に「子どもの心の診療医の養成に関する検討会」が設置され、厚生労働省検討会に日本精神神経学会から山内俊雄委員、精神科病院協会から森隆夫委員が参加した。小児科医向けと精神科医向けのテキスト作成が企画され、日本精神神経学会内に「児童精神科医育成に関する委員会」が設置され精神科医向けのテキストの作成を委託された。近く全ての日本精神神経学会会員にこのテキストが郵送されることになる。現状の医療施設を使ってネットワークをつくり、小児科医、精神科医に子どもの心のケアに対する関心と関与を期待している。実際に児童精神科医の育成のためには、このネットワークを土台にしながら研修、研究、教育などもできるしっかりした専門的病院を整備・増強したり、大学病院の中に児童精神科あるいは講座を設置することが必要であろう。いくつかの大学あるいは県立の病院でそのような施設もできつつある。学会の「児童精神科医育成に関する委員会」はそのような幅広い視点を持ちながら対応している。

4)他科における精神医学的知識の必要性
一般科の外来患者の20〜30%、入院患者の30〜40%は精神科の診断がつくという調査があり、一般科において精神科的な知識や対応が必要になってきている。また、生物・心理・社会的視点から診療できる医師を養成する必要性が高まってきた。このような動きの中で医学部における卒前教育の臨床研修において、精神科がコアカリキュラムとしてとりあげられ、卒後2年間の臨床研修においても必修科目として取り入れられ研修がすすんでいる。2年間の研修が終わった医師のアンケート結果では、精神科研修が有用であったと回答したものが84%あり研修成果が上がっている。自殺予防などと関連してうつ病診断技術や対応能力を上げるためにも卒後研修や医師会などで行う生涯教育の機会が重要になってくる。学会としても卒前・卒後臨床教育・専門医教育・生涯教育と一貫した精神科教育に力を入れていきたい。

以上は法制化されている問題について述べたがこの他にも老人の心の問題、職場のメンタルヘルスなど精神科のより積極的な関与が期待されている多くの問題が存在している。

2.精神科医療体制について

日本の医療費の対GDP比は8.0%であり、OECD加盟国の平均が8.9%で30カ国中の22位という低い水準である。諸外国に比べてきわめて低い医療費に抑えられているが有効な医療を提供し、世界一の長寿国となっている。それにもかかわらずここ数年の更なる医療費抑制策は医療関係者に対して多くの犠牲を強いることになり、その歪みが顕著になっている。産婦人科や小児科だけでなく、総合病院や大学病院の精神科で経済的問題や医師不足から病床の削減、入院病床の廃止などが起こっており、総合病院の精神科が閉鎖されるところも増えている。これらの病院では他科に比して低医療費が明らかであり、勤務医に負担がかかっているところに、過疎化や大都市集中に伴う地域による医師偏在、新医師卒後研修制度の影響で大学病院の医師が不足し、一般病院への医師派遣が困難になったことなども重なって、このような現象が生じていると考えられる。総合病院精神医学会や自治体病院協議会、講座担当者会議などと連携し種々の対応を行っているが容易ではない。この問題については既に学会の「精神科の将来と精神科医育成に関する委員会」が担当し検討している。

一方、精神科病院では多くの入院患者を地域の社会復帰施設に退院させデイケア、訪問看護などで支援していこうという動きが高まっているが、なかなか円滑には進んでいない。さらに福祉ホーム、グループホーム及びその他の社会復帰施設を充実させる必要がある。病院の側でも入院病棟の機能分化なども行われてきているが基準の問題などもあり、まだ上記の動きに十分対応できていない。厚生労働省の方針は、入院中心主義から脱皮すべく構造変化を打ち出しているが、低医療費という縛りのために、その方針がしばしば変更され医療関係者は疑心暗鬼となって戸惑っているのが実情である。一方、統合失調症の早期発見、早期治療の有効性が示され、さらに精神障害の発生予防に踏み込もうとする試みがなされており、入院治療中心ではなく、予防を含めた新しい精神科医療の仕組み・枠組みを考えていく必要性が生じている。上記の状況を踏まえて、海外の経験や我が国のこれまでの経験を参考にしながら、学会として日本の精神医療の新しいグランドデザインにとりかかる必要がある。そしてそれを多くの方々と討論し、修正を重ねて最終的には多くの関係者が一致できるものを作り上げていきたい。

おわりに

学会が種々の重要な問題に対応することができなかった時期が長く続いていたが、多くの会員の努力で精神科専門医制度が定着しつつあり、漸く学会としての体制が整ってきた。当学会は純粋な学術団体で多くの関連学会に所属する会員も当学会の会員になっている。それぞれの学会と連携しながら意見を統合して学術的な見地から当局に強く働きかけることができる立場にあり、努力していきたいと考えている。


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