ご挨拶日本精神衛生会とはご入会のご案内資料室本会の主な刊行物リンク集行事予定
当会刊行物販売のご案内

心と社会 No.132 39巻2号
巻頭言

社会を変革するチャンス

増野 肇
(ルーテル学院大学)

社会福祉の分野に冷たい風が吹いている。筆者の大学でも、社会福祉学科の入学志願者の定員割れという事態をはじめて体験した。一時、福祉、福祉とその必要性が叫ばれ、社会福祉学科が乱立した状態であったが、不況となるや、従来から存在していた社会福祉軽視の傾向が目立つようになり、それにしたがった施策が展開されている。このような国の福祉切り捨て政策が続く中で、社会福祉の仕事はますます厳しくなり、志を持って福祉を職業として選択しても、ひたすら厳しい労働の中で自分自身が十分に食べていけないという実態が、人々の足を押しとどめているようだ。経済中心のぎすぎすした社会システムの中での生活に嫌気がして、もっと人間と触れ合える仕事をしたいと考えて社会福祉の分野に転向してくる人は依然として少なくはない。しかし、これからの社会を背負う高校生たち、少子化という社会情勢の中で育てられてきた若者たちからは、ワーキングプアをもたらす代表的な仕事として嫌われてきているようだ。たとえ、本人が社会福祉の考えに魅力や夢をもって、その道を歩みたいと思っても、経済的に安定できる生活を子どもたちに期待する家族からの反対に出会うようである。そのような社会の風潮の中で、現場で働く人を育てることに重点を置いている筆者の大学などが被害を被ったのだろう。

筆者は、精神科医として半世紀近くを過ごしてきた。精神科医になったときは抗精神病薬が登場したてのときで、精神病院中心の日本の精神医療が大きく変化しようとしていたときであり、病院も地域も大きく変わらなければいけない状態にあった。そして、現在の地域に開かれた日本の精神医療体制が少しずつ作られるようになった。このような変革は、主としてソーシャルワーカーが築いてきたと思っている。もちろん、精神科医の中にも多くの人がいる。生活臨床を実践してきた郡大の先生たちや、先日亡くなられた岡上和夫氏のように、自治体に働きかけて最初のリハビリテーションセンターを立ち上げた人もいる。それらの活動は、筆者にとって地域に生きる精神科医のモデルを示したものだった。しかし、医師の改革は個人で終わってしまうことが多い。医師自体が大きな力を持っているためにたやすく実践できる反面、それが一般に普及し、続いていくことが難しい。それに対して、ソーシャルワーカーの変革は、もっと自由でラディカルであり新しいシステムを構築してきた。もっとも大きな力を発揮してきたのは、精神病院を飛び出して地域の中に拠点を作っていった「やどかりの里」の谷中輝夫氏であり、JHCの寺谷隆子氏であった。1975年に栃木県の精神衛生センター長になったときも増山明美氏などのソーシャルワーカーが、すでに活発なセルフヘルプグループを実践していたのに驚かされた。筆者はそのような人の活動に共感して、協力をしてきたし、そのような人たちの協力があって栃木県での新しい試みを展開できたと思っている。現在では「やどかりの里」は増田一世氏によって引き継がれており、「べてるの家」の向谷地生良氏や「クッキングハウス」の松浦幸子氏が地域の中で新しい試みを発展させている。「べてるの家」のユニークな活動は、さまざまな形でマスコミによって紹介されて知られるようになってきている。「クッキングハウス」も全国的にネットワークを組み、20周年記念に発刊された「生きてみようよ」を読むと、多くの障害者たちが、大きな苦しみを克服して、「クッキングハウス」を居場所として活動しているのが見えてくる。重要なことは、これらのソーシャルワーカーたちは、国の援助も予算も得られないところから出発して、地域に新しいシステムを作り上げていったことである。アメリカのファンテインハウス運動もソーシャルワーカーと当事者の協力で始まって全国に広がっている。

つい、最近、NHKのテレビで、木更津の作業所「井戸端元気」の紹介があった。これは、高齢者福祉の分野であるが、ここにも、現状をものともせずに改革しているソーシャルワーカーがいた。ソーシャルワーカーは、職業柄、現在の医療システムの問題点を掴んでいて、しかも、そこから自由になることができ、活動を推し進めていくパワーを持っている。また、当事者と協働体系を組みやすい立場にある。このような地域での改革を進めていけるように、その拠点を構築し、実践と理論を展開していくことがこれからのソーシャルワーカーに求められるであろう。危機は成長のチャンスであり、当事者の方たちと共にそれを展開していくことを期待したい。


ご挨拶 | 日本精神衛生会とは | ご入会の案内 | 資料室 | 本会の主な刊行物 | リンク集 | 行事予定