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心と社会 No.139 41巻1号
巻頭言

「怒りのコントロール」学習を支援する

前田ケイ
(ルーテル学院大学名誉教授・SST認定講師)

他人の言動にカッとなる経験は、非常に普通のことだろう。そんなとき、相手との関係をどう考え、どんな行動をとればいいのか。「あんなことを言わなければ」とか「あの行動はまずかった」という後悔もまた、多くの人になじみある経験に違いない。

精神科臨床のなかでも、私達は、他者の言動を被害的に受けとめやすい患者さんと出会う。怒りを感じた状況を検討し、そのときの自分の「自動思考」をチェックし、自分のとった行動を分析し、別の考え方や行動のとり方の可能性を考えてみる認知行動療法は「怒りのコントロール」に役に立つ。

ある作業所の利用者Aさん。喫茶店の空いている席に空コップを置き、自分の席を確保したつもりで、コーヒーを持って戻ってみると、その席に別の人が座っていた。その人の座っているテーブルをひっくり返し、頭にナイフを突き立てたいほど、Aさんは腹が立ったという。自分がその席に座りたい意志を伝えるために、じっと自分が置いた空コップを眺めていたが、その人はAさんを無視し、パンをぱくぱく食べていて席を動こうとしない。ますます腹が立ったAさんは、そのまま、すぐクリニックに行って、主治医に診察してもらった。ケンカをしたら強制入院だったから、ケンカしないでよかったよと主治医に慰めてはもらったものの、Aさんの怒りは収まらず、それから幾晩も、よく寝ていないとのこと。

わたしはグループのメンバーに聞いてみる。自分の席を確保するのに、空コップでいいと思う人は? 「はい」と賛成する人はわずか数名で、大部分の人は「空コップではあまり効果がない」と思うほうに手を挙げている。その人々の顔を見渡しながら「うっそう!うっそう!」と驚くAさん。座ろうと思った席に別の人を見つけたときにAさんがとっさに心の中で言った言葉は「馬鹿にしないでよ」だった。その自動思考を置き換えるための別の考え方の選択肢として、グループメンバーが提案した考え方のなかには、「紙コップじゃ駄目か」に続いて「今度はバケツにするか」があった。これにはAさんも大笑いして、場が一気に和んだ。提案された多くの別の自動思考のアイデアのうち、「頼んでみよう」を選んだAさんは続いて実際の頼み方を練習した。

頼み方のモデルを見てから、頼んでみる練習をしたAさんは、お手本よりずっと上手にできてみんなを驚かせた。正のフィードバックがどんどん他のメンバーからAさんに届く。「頭の下げ方がすごく女らしい!」と言われたときは、Aさんの顔が可愛らしくほころんだ。終わりに練習で学んだことをAさんに確かめる。今度、席を確保するときは、コップでなく、コートとか別の物を置く、人が座っているときには、「あれっ!頼んでみよう」と心の中でつぶやいて、丁寧に頼むなどであった。1週間経って、Aさんがグループで次のように報告した。「家に帰ったとき、今夜も寝られないのか、と思ったが、その晩からもうずっとぐっすり寝ていて、氷がとけるように怒りがなくなったんです。」よかったね、Aさん!

認知行動療法は刑務所にも取り入れられている。平成19年5月に制定された「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」により、被収容者から「自分を変えたい」気持ちを引き出し、新しい行動学習を支援するさまざまな教育プログラムが作られ、認知行動療法が重要な柱の一つになっている。

刑務所で、担当職員とわたしが一緒にやったグループワークの場に、居室仲間から自分の行動に文句を言われ、「てめえもやっていないのに、俺に言える身か」と言い返した被収容者のBさんがいた。しかし、Bさんは、グループ学習のなかで、ちょっとしたことに腹を立て人間関係を険悪にする自分を変えたいと思うようになっている。でも、つい昨日も腹を立て、相手に言い返したが、そんな自分を変えるには、どうすればいいんだろう。

相手に批判され、Bさんの心にとっさに浮かんだ考えは「馬鹿にしやがって。人のこと言えるのか!」というもの。その自動思考に取って代わる考え方はあるだろうか? 私がかつて経験した更生保護施設利用者の実例をBさんに紹介すれば役に立つかもしれない。この人は腹が立った場合には、これは自分をもう一回り大きくする「修行のチャンスだ」と考えて、「馬鹿にしている」という自動思考を「修行だ、修行だ」に置き換えて実際に成功した感動的な話だ。Bさんはこの「修行」が気に入って、ロールプレイで相手役を選び、場面を作って練習した。練習なので批判された直後には、声に出して「修行だ」と自分の考えを言ってみたBさんが次にとった自然な行動は文句をつけた相手に「すみませんでした」とすなおに頭を下げるものだった。それには仲間のメンバーも思わず大きな拍手を送った。Bさんは「これでいい」と言い、わたしの顔を見て「実際に大きな人間になった気がする」と、はにかむような笑顔を見せた。

頑張ってね、Bさん。生きていくのはやさしくない。つらく思うのも人間だからだし、助け合えるのも人間だからね。


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