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心と社会 No.141 41巻3号
巻頭言

思い出のくさぐさ

阿部志郎
(神奈川県立保健福祉大学)

(1) 1970年代に、『心の健康』という20頁たらずの雑誌を購読していた。発行した精神衛生普及会が今でもあるのかどうか。

うかつにして、それさえ知らない私は精神保健の関係者からみれば、素人ということになろうか。

(2) 母親が老人性うつで、数回電気ショックを受けたが回復できなかった。

「お母さまは、身代りになられたのですね」と慰めてくれる友人に、「それは違う。本人のみの主体的な心の病です」と、私は心の中でつぶやいていた。

母の病状を目の前にしながら、くやしいことになにも役に立たず、できるのは、歯ぎしりのみ。

(3) 子どもの頃通った青南小学校の隣が青山脳病院だった。斎藤茂吉が可愛がった出羽の文ちゃんとよばれるお相撲さんは、後にも先にも見たことがないほど大きな体をしていた記憶とともに、青山脳病院の大きな看板が胸にやきついている。

令息の茂太さんは、私が小学校の10年後輩というので、会うたびにこぼれるような笑顔で冗談をとばした。心豊かに、かつ、美しく老いる姿は見事だった。

(4) 戦後、千葉県に開設された国立精神衛生研究所に迎えられた黒沢良臣初代所長、その後、PSWのリーダーとなった柏木昭社会精神衛生部長を、私の属する法人から送り出したのは、ちょっとした自慢の種。

(5) 若いとき、うつ(と思われる)の町の青年と数回面接をし、楽観していた。

ある朝、血書が届き慌てて連絡すると、「先程自殺したのがみつかりました」との母親の言葉に虚脱した無力感にさいなまれ、暫く一人息子の母親の顔をみることができなかった自責の念は、いつまでも尾を引いている。

(6) 竹山恒寿という精神医学者で臨床医がいた。慈恵医大の教授で、近くの病院長を兼ねていたので、会議などで同席することが多く、紹介した患者の面倒見もよかった。福祉を深く理解し、協働できる専門家として親しくなる。

旅館で同室すると、夜が更けるまで黙々と原稿を書いている。無理したのであろうか、惜しむらくは活躍期に世を去り、芝の寺での葬儀に涙した。

森田式療法の継承者であったと聞く。

(7) 妻の恩師で児童精神医学の平井信義教授に頼まれ、自閉症のアスペルガー教授を横須賀、鎌倉、江の島に案内したのが縁で、ウィーンのお宅で妻と二度お世話になった。

長身で穏やかな性格の持主は、美術を愛好する教養人で、夫人の母親と三人暮らし。広々とした明るい大学研究室でゆっくり思案を重ね、自宅の隣室のクリニックで臨床に励んでおられたのであろう。

患者の自立支援施設で「若い人ばかりで年輩者はいませんね」と尋ねると、「それは聞いてくれるな」と厳しい顔で口を閉ざすではないか。助手が耳もとで「ナチスの仕業です」と囁いてくれた。戦時の迫害に思い及ばぬ私の思慮の足りなさを悔んだ。

もう一つ。毎週土曜日に、大きなベンツを運転してウィーンの森と峠を越え、SOSとよばれる子どもの施設に赴き、ボランティアとして職員のカウンセリングを担当する高貴な人柄から受けた感銘は忘れられない。

(8) 1962年のこと。ドイツのベテルを訪ねる機会に恵まれた。職員が命をかけて6,000名の障害者、病者をナチスから守り抜いた歴史をもつ。

創設者ボーデルシュヴィングの墓をディアコネッセ(奉仕女)の数十の墓が取り囲む。毎朝の現役ディアコネッセの墓清掃は100年以上続いているという。

墓の前に立ち、ベルーフ(召命感)が古典的用語でなく、清々と生きた概念であるのに感動したことと、重度障害児と成人病者の病棟に、臭いがなく、真白なシーツから受けた印象を心に銘記している。

障害児を街の人々が「ベテル(神の家)の子」と口にするのも、特筆に値すると思う。

(9) 精神保健法が1998年に成立し、精神医療審査会が都道府県に設置された際、人権擁護の視点からと要請され神奈川県の審査委員をあっさりと引き受けた。

ところが、2カ月に1回の予定という約束だったのに、驚くなかれ審査書類が山のように積まれ、月2回ないし3回開催しなければ処理できないことになり、出席困難をきたし、間もなく辞めざるをえなかったのは申し訳ないことであった。

精神保健法が重視する入院中に治療体制から、社会防衛的思想を越えて、地域保健体制への転換が急務なのは、今でも変りがないのではあるまいか。

私は、ソーシャルワーカーとして、地域福祉の分野で働き、大学教育─看護、栄養、リハビリ、社会福祉の学科構成─にもかかわってきたにもかかわらず、精神保健に関心を払わず、研究にも取り組まないまま、いたずらに歳だけ重ねてきたのが恥しい。

この欄に執筆する資格のないのを自覚したうえで、長い人生のなかで出会った人、経験したささやかな出来事を思い起こして責を塞いでいる仕末である。

でも、精神保健の重要性を身に染みて実感してきた一人として、斯界の充実発展を祈りつつペンを置く。

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