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心と社会 No.147 43巻1号
巻頭言

現代の悲嘆─長引く別れと曖昧な喪失

平木典子
(統合的心理療法研究所所長)

 キューブラ・ロスはその有名な著書(1969)で、人々が死に直面したときにたどる心理的プロセスを「喪失の五段階」として発表し、以来、この「悲嘆の五段階」は多くの死別体験の支援に応用されてきた。第1段階:否認と孤立に始まり、第2段階:怒り、第3段階:取り引き、第4段階:抑うつを経て、第5段階:受容に至る過程である。そして、この過程は、現在まで40年以上にわたって末期の病のみならずさまざまな喪失体験(仕事、収入、自由、排除、離婚、依存症、引越し、不妊、災害など)にも広く適用されている。

 ところが、今、家族の誰か、あるいは大切な人が末期の病を宣告されたら、私たちはその知らせにどのように反応するだろうか。死はどこまで迫っているのか、治療は可能なのか、可能だとしたらそれは何か、その治療はどこで受けられるのか、そのために何をすべきか、などなど、私たちは可能な限りの医療と延命の可能性を探すのではないだろうか。つまり、医学が発達し、末期医療が可能になった現代の死は突然の出来事というよりは、一つのプロセスとなりつつあり、そのプロセスをたどる私たちの悲嘆のありようにも変化をもたらすことになっている。

 また、9・11(2001)のテロ攻撃に始まる戦争は、再び、人間がタブーと思われることさえ破って人為的に多数の命を奪い、理不尽な哀しみを体験させた。さらに、3・11(2011)の自然災害に続く原発事故は、私たちに予想を超えた規模の喪失と悲しみが襲ってくることを予告している。

 このように、現代の別れにはさまざまな要因と様相があり、かつてキューブラ・ロスが示した医療や介護で体験した悲嘆のプロセスはあてはまらなくなっている。

 現代の別れと悲しみの新たな様相は、大きく2つのタイプとして取り上げられるようになった。一つは、「長引く別れ」(Okun&Nowinski, 2011)であり、もう一つは「さよなら」のない別れ(Boss, 1999)である。

 「長引く別れ」とは、先に述べた末期の病を宣告されたのちに訪れる当人と家族の悲嘆のプロセスであり、高度に発達した現代の医療がもたらしたともいえる死に至るプロセスの長期化である。末期医療を受けている患者とその家族は、延命を可能にする手術、投薬、機器のハイテク化などにより、延命と引き換えに遅延された死という厳しい体験をすることになった。高度成長を遂げた国の人々にとって、今や死は、突然の予期せぬ「出来事」ではなく、数カ月、時には数年に及ぶ長期の「プロセス」にもなっているという。

 現代医療は、多くの人々がゆっくり亡くなってゆくことを可能にし、患者も家族も緩慢な死と共に生きるという新たな悲嘆に直面させられている。末期の病の診断から治療が開始され、小康状態を取り戻し、再び病状が悪化して新たな一連の治療に移り、最終的に死を迎えるというプロセスは、患者にとっても家族にとっても激動を体験する「暗闇に向かう長い、長い旅」となる。それは、危機の受け取り方の多様性、結束した危機への対応、激変する様態と治療、終末期の過ごし方の決断、厳しさに向きあう対話による再生の五段階をたどるという。

 新たな悲嘆において、私たちは怖れ(診断)から喜び(小康)へ、怒り(選択肢のない状態、あるいは誤診)から無力感(愛する人が治療により弱り、痛みや予期せぬ副作用に襲われるのを見ること)へと情緒的ストレスに揺り動かされる。たとえば、診断が告げられたとき、新たな治療の選択を考慮するとき、あるいは小康を得たり、治療の進展があったりした時などである。愛する人が回復しようとしまいと、長引くストレスの中で、人々は身体的にも、情緒的にも健康を脅かされる。それでも、私たちが終末介護を覚悟し、厳しい前途を正直に語る時間を得ることができれば、心理的再生が訪れる。そこに関わる医療関係者と患者、家族の対話にこそ再生の鍵があるという。

 「さよなら」のない別れは、「さよなら」を伝え合うことができない曖昧な別れである。たとえば、9・11と3・11で私たちが体験した多くの別れは、「さよなら」のない別れであった。戦争や災害、誘拐などで行方不明になった人との別れは、親しい人と「さよなら」を交わすことも、存在を確かめることもできない突然訪れる身体的喪失である。また、「曖昧な喪失」には、身近に居るにもかかわらず日常的なやり取りが欠如したり、理解不能な言動が出現して、心が失われていく心理的喪失もある。認知症や物質依存症、抑うつ、仕事中毒などによる関係の喪失である。

 「曖昧な喪失」は、遺族を遺体も死亡証明書も葬儀もない状態に陥れ、一生、生存と帰還を待ち続けて過ごす人から、確信のない不在を自ら不問にする人まで希望と絶望の間をさまよわせ、いずれの曖昧性も「未解決のトラウマと凍結した悲嘆をもたらす」という。悲嘆のプロセスを阻止し、傷がいえることのない「曖昧な喪失」には、不明確な事実そのものを理解し、承認し、対処し、前進するための支援が必要である。

 「長引く別れ」と「曖昧な喪失」に共通することは、そのプロセスには再生があり、リ・メンバリング(居なくなった人が憶えられ、メンバーシップを回復することHedtke&Winslade, 2004)の会話があり得ることである。そのプロセスに必要なのは、厳しい現実に直面して共に歩む仲間とその人たちの語りを支援する人がそばにいることであろう。

引用文献
Boss, P.(1999)「さよなら」のない別れ,別れのない「さよなら」─あいまいな喪失.(南山浩二訳 2005)学文社.
Hedtke, L.&Winslade, J.(2004)人生のリ・メンバリング─死にゆく人と残される人との会話.(小森康永・石井千賀子・奥野光訳 2005)金剛出版.
Okun, B.&Nowinski, J.(2011)Saying Goodbye:How Families Can Find Renewal through Loss. Berkley Books.

 

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