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心と社会 No.153
巻頭言

さらりとしたお茶と動作のこころ

鶴 光代
東京福祉大学

 若い頃、茶道の稽古をしていた。9月にもなると、夏のお茶から秋のそれに移っていくが、実際には、まだまだ暑い時季である。夏のお茶の稽古は、まずは、涼やかに感じるようなお道具を選ぶところから始まる。そして、さらりと点てるというのがお師匠さんの教えであった。いつもいち早くその教えの域に達する姉さん弟子が、その夏はなかなか師匠から良しとする言葉をもらえないでいた。一緒に稽古をしていた我々弟子たちにとっては、さらりとした大変結構なお茶のように感じられていたのだが… 姉弟子は、抹茶の銘柄選びから、その量、お湯の加減などなどに気を配りながら稽古をし、夏稽古も終わろうとする時、やっとお師匠さんから「さらりとしたおいしいお茶です」とほめられた。同じ席で姉弟子が点てたお茶をいただいた私には、それまでと何がどう違っているのか分からなかった。

 次の稽古の時、姉弟子は、前回の稽古のあと‘こころがお点前に現れる’と強く合点したと、そっと私に話しかけてきた。その夏、仕事上の大きな行事のリーダーになっていたことから、気を張り、時に焦りながら肩に力を入れて過ごしたという。そのこころがお点前の所作に出ていたので、さらりとしたお茶にはなりえず、行事が無事に終え平常こころを取り戻したことで何とかお茶が点てられた、というのである。のちに、さらりとしたお茶とは、茶室のしつらえやお点前の所作から生み出されてくる気分、お茶を口に含んだ時の感覚、一席を終えた後の余韻も含めてのものなのであろうと思ったことがある。お点前の所作がさらりとした気分から遠ければ、お茶をいただく者にとって、さらりとしたお茶の味わいにはならないということなのであろう。

 表題にある「動作のこころ」は、成瀬悟策先生の著作の表題にもなっている表現で、動作を生起させるこころの活動という意である。また、こころが活動しようとするとき、からだを必ず緊張させそのこころの活動にそなえるという意も含まれている。ここでいう緊張とは、からだが活動するための緊張である。ひとが主体的に活動するという現象には、いわゆるこころの活動と同時的にからだを緊張させ動かすという活動が伴い、そのからだに起こる活動を動作と呼んでいる。

 人は生を受け、その生を全うするまで、からだを動かしながら生きている。日常生活の喜怒哀楽、思考、認知、記憶等々の、その時々の一瞬一瞬の体験は、そのまま動作としての体験ともなっている。ウキウキした気分の時は、からだは軽く動作はスムーズであり、一方、怒りを感じているときは、からだに強い力が入り、動作はぎこちない硬いものになる。難しいことを考えているときはそれを考えるに必要な力を入れているし、何かを思い出そうとするときも思い出すに必要な力を入れている。

 動作のこころは、それだけではなく、浮かれているときには気持ちを引き締めようとからだに力を入れるし、怒りをからだで受け止めからだを固めているときは机をたたいて怒りを発散させようとする。考えが煮詰まったときやなかなか思い出せないときは、フッと力を抜いて仕切り直しをして視点を変えさせていく。このように、感情や考え、あるいは意欲といったこころの活動と動作を起こすこころの活動が一致しているときは、日常のその時々の体験の仕方(様式)は順調といえる。ところが、気になることがあってソワソワして落ち着かないときに、落ち着きたいと思ってもからだがソワソワして思うように落ち着けないといったことや、いつも気が張り詰めて緊張していて、リラックスしようと思ってもからだの力が抜けなくてリラックスできないというときがある。気持ちと動作がうまく調和していない体験の仕方(様式)となっているのである。日常生活が、焦燥感や緊張感、あるいは怒り感、悲哀感、無気力感といった体験の仕方で続いていくと、人生の生き方は不調となる。ゆえに、心理臨床の援助とは、生き方の不調を生み出している体験の仕方をクライエントにとって望ましい体験の仕方に変えていく援助であると思っている。

 例えば、焦燥感や緊張感による体験の仕方になっている場合は、肩や背、あるいは腰に慢性的な筋緊張を入れ続けながらからだを動かす動作となっているので、この慢性緊張を自己弛緩するその仕方の体得を援助し、不必要な筋緊張を入れないで必要で適正な力を入れて思うように気持ちよくからだを動かしていく動作ができるように援助していく。その中で、動作のこころは、リラックスの仕方、思うようにリラックスするためのリラックス力りょく、自己調整感、自己変容感、自己安寧感、自己コントロール感、自己確実感を体験し体得していく。動作を通して体験したその仕方は、人生を生きていく新しい体験の仕方となり、日常生活を順調な方向に変えていく。

 このとき、自分自身を洞察的に語ることは少ない。‘からだが落ち着いたので気持ちも落ち着いてきた’、‘今まで気になっていたことが気にならなくなった’、‘不安が減った’、‘怖い感じがなくなった’、‘からだが頼りになるので自分がしっかりしてきた気がする’と自分の変化感を話すことが多い。その時には、すでに、見た目の姿勢がよくなり、動作が自然な感じになって、日常生活に順調さが感じられてくる。

 さて、私の姉弟子は、お師匠さんにその夏の仕事上のしんどい事情はなにも話してはいなかった。にもかかわらず、師匠の目には、姉弟子の当時の体験様式が映っていたのであろう。なににしても修業を積んだ人の感性はすごいと思うと同時に、こころは動作に現れるとつくづく思う今日この頃である。秋を迎えれば、茶席のお花に、秋の七草が登場となる。女郎花おみなえし、尾花(薄すすき)、桔梗、撫子なでしこ、藤袴、葛、萩。「お好きな服は?」と覚えることを教えてもらったのも懐かしい。

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