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心と社会 No.169
巻頭言

「良質の声」をひろげる

向谷地生良
北海道医療大学大学院看護福祉学研究科

 メルロ・ポンティの言葉に「闇とは自分の前にある対象物ではない。それを包み、あらゆる器官を通じて自分の中に侵入し、もろもろの思い出をちっ息させ、自分の個人的な素性をほとんど消し去ってしまう」(知覚の現象学:1967)というものがある。この言葉を深く考えざるを得ない事件が昨年7月におきた。「相模原事件」である。「ヒトラーが降ってきた」という容疑者の青年の供述からは、「宣伝、宣伝だ。それが信仰となり、なにが想像でなにが現実かわからなくなるまで宣伝することだ」(無名だったウィーン時代に知人J-グライナーに語った言葉。1910年頃:出典「ヒトラーとチャップリン」)というヒトラーの言葉が現代によみがえったような不気味さがある。

 その事件を予告するかのようなニュース(共同通信:2016/3/25)が配信されている。記事の見出しには「人工知能がヒトラー礼賛、差別的な発言を繰り返す、米マイクロソフト実験中止」と書かれ「米IT大手マイクロソフトは24日、インターネット上で一般人らと会話をしながら発達する人工知能(AI)の実験を中止したと明らかにした。不適切な受け答えを教え込まれたため「ヒトラーは間違っていない」といった発言をするようになったため」という内容であった。

 この記事の興味深い点は、「インターネット上で一般人らと会話をしながら発達する人工知能」は、会話の結果として、「ヒトラーは間違っていない」という言説を学習したという点である。つまり、インターネットの世界を漂流する人たちの多くが、人工知能と同様の言説に“汚染”されている可能性を示唆している。容疑者の青年も、その犠牲者なのかもしれない。

 これと似た現象が統合失調症を持つ人たちの“幻聴─聴声体験”である。スタンフォード大学の文化人類学者であるT・ラーマン教授は、アメリカ、インド、ガーナの統合失調症による調整体験を持つ人へのインタビューの結果として「アフリカ人・インド人の幻聴は主に肯定的な体験であり、アメリカ人の幻聴は主に暴力的で憎しみに満ちたものが多かった」という結果から、「幻聴を経験した人たちが聞く音声とその変化は個人の社会的・文化的環境の影響を受けて形成されている」(The British Journal of Psychiatry:2014/9)ことを明らかにしている。

 この結果は、私たちの当事者研究の研究成果とも合致している。当事者研究は、2001年に浦河べてるの家において、統合失調症などを持つ人自らが生活体験に根差した研究テーマ(例:「悪口幻聴さんの性格改造の研究」)について研究する自助活動からはじまった。一般的に、統合失調症を持つ人たちの聴く幻聴は、多くの場合「死ね」などの否定的な内容が多いが、自分を誉め、周りの人とも良好な関係が築かれ、肯定的な言葉のやり取りが増えると幻聴の内容が「誉め誉め幻聴」に変わるという研究結果がある。ということは、私たちの身体はメルロ・ポンティのいう「闇」ばかりではなく、「希望」や「安心」も取り込み、その人らしさを育む可能性を孕んでいることになる。

 ラーマン教授は論文の締めくくりとして「幻聴との関係性を指示することで症状を改善する特別な治療法\_mrs003d多くの“良性の声”が、より良い経過および結果に貢献する」可能性に言及している。このことは、人と社会の変革には、「言葉と“あいだ”を変える」ことが重要であることを示唆している。

 「対話」が重視され、オープンダイアローグや当事者研究が注目される背景と我が国の精神保健福祉の行き詰まりには、「良質の声」が持つ可能性を排し、薬物一辺倒に陥ってきた現状がある。その意味でも、「毒舌」が持てはやされる中にあって、再びインターネットに人工知能をつないだ時に、AIが人々に夢や希望を語れる時代をめざして、“いま、ここから”、人を励まし、活かす「良質の言葉」を語り、ひろげる営みを続けて行きたいと思う。

 

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