ご挨拶日本精神衛生会とはご入会のご案内資料室本会の主な刊行物リンク集行事予定
当会刊行物販売のご案内

心と社会 No.183 2021
巻頭言

悲嘆を語り合う時代、悲嘆が見えにくくなる時代

島薗 進
上智大学

 東日本大震災から一〇年が経過した。二万人もの方々が犠牲になり、今も悲しみがたえない。死者を悼む行事や集いは多くの場所で行われ、悲しみをともにする経験が繰り返されている。フロイトが「喪の仕事」とよんだ心のプロセスをともに分かち合うことが大切だと考えられ、実行されてきた。死者への弔いは個々人の心のなかで行われることであるとともに、家族・親族や近隣の人たちや親しい人々や友人とともに行うものだ、と信じられてきたのだ。

 また、大きな事故や事件、災害や戦争となると、多くの人が亡くなるということもあり、さほどの死者の数ではなくとも、皆が衝撃をともにしたということから、社会が悲嘆を分かち合うことが欠かせないとも感じられる。集合的な「喪の仕事」とも言える。マスコミが事故や事件や災害を報道するとき、人々は報道を通して弔いに参加し、悲嘆にくれる遺族たちに思いを寄せることが多い。

 日本では、もともと追悼・慰霊の行事が重視されてきた。通夜・葬儀、初七日から四十九日、百箇日、一周忌から三十三回忌に至る仏事、またお彼岸や命日の墓参や法要、お盆の行事等々だ。近年、集団で行うことが多いこうした行事はかつてほど頻繁には行われなくなってきている。だが、死者との交わりを大切にする気持ちは必ずしも衰えてはいないように感じる。

 阪神淡路大震災のときもそうだったが、東日本大震災ではそれにもましてともに死者を悼む機会が多く、それは十年後の今も続いている。これは、上にあげたようなふつうの、多くは仏教式の追悼儀礼がかつてほど頻繁に、また多くの人数で行われなくなってきていることと関わりがありそうだ。昨今は、不特定多数の人がともに集ってともに死者を偲ぶ機会が増えているようだ。

 上智大学ではグリーフケアについて学びたいという方々のための二年間の講座を大阪と東京で開いてきたが、すでに一〇年以上が過ぎている。年齢は四〇歳代以上の方々が多く、自ら死別の悲嘆を経験している場合、他者の悲嘆にも関わった経験がある場合が多い。

 そこで困難を感じたり、大切な問題にぶつかったと感じたりしていて、グリーフケアについて学びたいと思った方も少なくない。かつては、精神科医や臨床心理士の役割、あるいは宗教者の役割と考えられたであろうことを、多くの方々が自分自身の問題として取り組み、学びを深めたいと考えているのだ。

 死別の経験は死に向き合う機会と考えれば、これは死生観について振り返ることの必要性を感じているということでもある。私自身は宗教学や死生学を学んできたものとして、そちらの方面からグリーフケアやスピリチュアルケアについて話をしてきているが、かなりの手応えを感じる。

 大学では二〇歳前後の若者に教えることが多いが、彼らは自殺について考えたり、それなりに死について考えている場合も多い。ペットの死などの経験を含めれば、死別の経験がまれというわけでもない。だが、人生経験のなかで重い死別の経験をしたことがあるかというと、やはりこれは多くない。それと比べると、ともに死や死別の悲嘆を学ぶという点では、社会人の受講生との学びから得るものは多いと感じる。

 これは誰もが「心のケア」の当事者という時代になっている、そう捉えることもできるだろう。もちろん専門家のケアを必要とする場合は多々ある。だが、必ずしもそのようなケアを必要としない人々も、それぞれケアしケアされる関係を生きていると自覚する時代になっているということだ。

 調べたわけではないが、「心のケア」という言葉がさかんに使われるようになったのは、阪神淡路大震災の頃からではなかったか。その当時は、専門家による「心のケア」ということが主要な意味だったようだ。折しも臨床心理士が急速に増加し、カウンセリングに注目が集まる時期でもあった。

 これに対して、東日本大震災の後には一方で宗教的な心のケアに関心が集まった。この大災害を機会に「臨床宗教師」の養成が始まったのだ。まずは東北大学で臨床宗教師の養成講座ができ、いくつかの仏教系の私立大学にも同様に講座が広がっていった。高野山大学では早くスピリチュアルケア学科が設置されていたが一度は廃止され、新たに臨床宗教師の養成が始まっている。

 他方、東日本大震災後には、被災者同士、あるいは被災者を交えた語り合いが広がっていった。そこに医療・心理関係者や宗教者が加わることもあるが、共助的な側面が強い集いの場だ。この先例は、一九八五年の日航ジャンボ機事故の遺族らの集いだ。事故や災害に限らず、支え合いの集いがあちこちで立ち上がって来ている。相互に心のケアをし合う場が自覚的に求められる時代になっているのだ。

 そのような目で、日本では二〇二〇年に流行が始まった新型コロナウイルス感染症の災厄について振り返ると、ともに心を寄せ合うことの困難が容易ならぬものに感じられる。すでに世界では二二〇万人を、国内では五千人(一月二十三日時点)を超える方々が亡くなっているが、その死をともに悼む機会が少ない。

 まず、もっとも近い家族でさえ、死の看取りができない場合がしばしばある。亡くなったあとの葬儀もごくわずかな人しか参加できず、儀礼も簡略化される例が増えている。宗教的行事に多くの人が集まることを禁じている国家もある。亡くなった場合に、新型コロナウイルス感染症で死んだとは言いにくいと感じる人も少なくない。

 ニュースや報道番組でも新型コロナウイルス感染症で亡くなった方々の遺族の声を聞く機会は多くない。日本ではいく人かの有名人の死が注目されてきているが、ふつうの遺族の気持ちが伝えられることは多くない。

 これは人々が個人化し、孤立化しやすくなっている時代の流れとも関わっている。感染が起こらないように細心の注意を払わなくてはならない新型コロナウイルス感染症が、その流れを一段と際立たせているようでもある。苦難や悲嘆を分かち合うことの困難は、苦難や悲嘆そのものとともに、じわじわと人々の心に疲労を蓄積しているように感じられる。

ご挨拶 | 日本精神衛生会とは | ご入会の案内 | 資料室 | 本会の主な刊行物 | リンク集 | 行事予定