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心と社会 No.188 2022
巻頭言

明日への希望

影山 任佐
東京工業大学名誉教授、郡山精神医療研究所顧問

 私は、次のように述べたことがあります1)。人間の本質は二つのプログラムによって構成される。生物学的、遺伝的プログラムによって、ヒトとなり、第二のプログラムとは自ら選び、作り出す「実存的プログラム」、つまりは「人生のプログラム」によって、ヒトは人間となり、人生の主人公になるのだ、と。これは私が触れてきた「志と人間力」2)の問題とも重なりますし、フランスの精神科医故Ey3)の次のような主張とも関係しています。

 「大脳は特定の何者かになる可能性を引き出すことによって、遺伝的プログラムを統合する理想ないし実存的プログラム(un progrmme existentiel)を含意する限りにおいて、自由性の器官そのものである」

 このEyが影響を受けている4)ドイツのHartmann5)によれば、人間の本質とはbio-psycho-socialな実在世界の全層から構成され、各層は独自の構造と法則を有していますが、上層は下層に決定ではなく条件付けられている、つまり人間とは、この条件を越えた自由と実存への道を歩む存在であるということです。生物学的、社会的(家族的、文化、歴史的)に条件付けられながら、これに完全に決定されるのではなく、未来に向けてのプログラム、人生の意味と目的を自ら決定する、相対的ではあるが、この条件を乗り越える自由を有している。このことは、次に述べるように精神医療や非行・犯罪の再犯防止においても極めて重要であると私は考えています。

 英国のMaruna(2001)6)の「シナリオ理論」(犯罪停止・離脱理論)によると、英国リバプールの65名の犯罪者と元犯罪者の面接による研究において、Marunaが注目したことには、常習的犯罪が青少年期のある時期に停止(離脱)する群と持続する群に二群に分けられるが、両群の唯一の違いは、彼らの犯罪生活の認知的理解が極めて異なっているということであった。ある時期になってくると、我々の全てが、我々が何者であるのか、何をするのか、どこに向かうのか、ということの「意味を理解」させてくれる「ライフ・ストーリー」(life story)ないし「物語」(narrative)を持つことで、意味づけを求めている。犯罪者のこの二つの群では彼らの長期の犯罪性を説明するために彼らの採用した物語ないし「シナリオ」(scripts)が異なっていた。犯罪停止群は「ひどく荒涼とした生活史の中であっても事を成し遂げる」、「理由と目的とを見いだす」ことが可能であるという人生の物語を抱くことができた群であった。それは犯罪学理論における「回復(救済)のシナリオ理論」(Theory of Redemption Script)と言うべきものであった。将来の人生シナリオを運命的で、変更不可能と見なしている群(犯罪持続群)と変更可能と見なしている群(犯罪停止群)が存在している。

 人生の転機には人生のプログラムの組み替えが不可欠でもある。どのようなプログラムに組み替えるのかは決定的に重要です。シナリオをプログラムの一種と見なせば、プログラムの組み替えの一環と見なすことも可能です。人生のシナリオや目標、つまりは「人生のプログラム」の構築は、人間的実存、不利な条件に規定されながらの人間的自由性の証、逆境に対する態度や価値、目的決定のありかたの一つとしても理解可能です。Marunaは物語、自己同一性などの理論と同時に、彼自身の「シナリオモデル」とFrankl7)の実存分析に強い親和性を感じている。そしてこのFrankl自身がその実存分析の基盤としていますのが、二人の哲学者、つまり哲学的人間学の創始者Max Scheler8)であり、存在論的人間学者のNikolai Hartmannなのです。我々の提唱している統合的アプローチ(統合人間学を基盤とした統合犯罪学、精神科統合療法)9,10)はEy、Hartmann、Frankl、Marunaと共有する地盤を有しています。その基本的考えにあるのが、人生のプログラムの選択、変更にかかわる相対的自由です。既存の不利ないかなる生物学的、社会的条件に制約されながらも、完全にこれに服従することなく、また決定されることなく、未来への希望に導かれ、勇気をもってこれを改変し、価値や意味を実現していくプログラム形成、態度決定が可能な自由を人間はもっているということです。このことを具体的に示していますのが、最近行われた夏・冬のパラリンピックでの選手たちの活躍であり、世界の人々に深い感動と勇気、希望を与えたことは皆さんの記憶にまだ新しいことでしょう。そして、神ならぬ我々人間は誰しも大小さまざまな欠点を持っている。

 ところで、精神療法の世界では近年「統合的アプローチ」11)が注目を浴びています。これは精神療法の学派の垣根を越えた、患者のニーズに寄り添ったより効果的な治療法を模索していこうとする開放的アプローチと言われています。この一つに次の様な精神療法の「共通要因アプローチ(common factors approach)」(Frankら)11)があります。

 共通要因アプローチとは種々異なる学派の精神療法が共通して具えている基本的な治療要因こそが重要と考え、これらを明らかにしようとするものである。精神療法の1世紀以上に及ぶ歴史の中で、ある特定の学派が全般的に優れた治療成績をあげたという実証的データはない。治療効果の大部分のものは、治療法の違いというよりも、むしろ各学派に共通な要因によってもたらされている可能性がある。このような前提からFrankらは、各学派の精神療法に共通している以下のような基本的治療的要因を挙げている。@あらゆる精神療法は、治療者と患者の間の関係を規定する特定の場面設定と概念的枠組みから成っている。採用される技法がどのようなものであれ、治療者の仕事は、この関係の中で、患者の症状と問題を明確化し、希望を喚起し、成功ないし統御の体験を促進し、情動を喚起することである。Aそうした活動がもたらす主要な効果は、自分自身ないし環境を変化させることについての患者の無力感を緩和することである。

 以上述べてきたことを勘案しますと、精神療法を通して患者さんたちの希望を喚起し、負の条件を乗り越えながら人生のプログラムを作成し、共にこれを歩んでいくことが私たち精神科医の治療のあり方の一つであり、一方では患者さんのその姿に私たち精神科医もまた生きる勇気と希望を与えられているというべきでしょう。

 最後に、卓越した言語表現力に恵まれた自閉症スペクトル患者さんの次の言葉を紹介して、本論を綴じたいと思います。

 「誰かが自分のことを考えてくれるということが、その人にとって明日への希望に繋がるだろう」(東田直樹)12)

文献
1)影山任佐:「空虚な自己」の時代(NHKブックスNo. 850).NHK出版,東京,1999
2)影山任佐:犯罪学と精神医学史研究.金剛出版,東京,2015
3)Ey H:Des idées de Jackson à un modèle organo-dynamique en psychiatrie. Privat, Toulouse, 1975(大橋博司ほか訳:ジャクソンと精神医学.みすず書房,東京,1979)
4)影山任佐:H. Eyの「器質・力動論」成立史への一寄与:現在と将来的展望.精神医学史研究 25(1・2):21-41,2021
5)Hartmann N:Der Aufbau der Realen Welt. Dritte Auflage, de Gruyter, Berlin, 1964(1940)
6)Maruna Sh:Making Good−How Ex-Convicts Reform and Rebuild Their Lives−. American Psychological Association, Washington, D.C., USA, 2001
7)Frankl VE:Ärztliche Seelsorge. Grundlagen der Logotherapie und Existenzanalyze, 11 Auflage. dtv, München, 2005(霜山徳爾訳:死と愛 ロゴセラピー入門.みすず書房,東京,2019)
8)Scheler M:Die Stellung des Menschen im Kosmos. Philosophische Weltanschauung. Idealismus:Realismus, 1927(亀井 裕ほか訳:新装復刊 宇宙に於ける人間の地位;哲学的世界観(シェーラー著作集 13).白水社,東京,2002)
9)影山任佐:人間学を求めて─精神医学と犯罪学の狭間で─.大学のメンタルヘルス2:59-67,2018
10)影山任佐:犯罪学と精神医学史研究U.金剛出版,東京,2017
11)Frank JD, Frank JB:P Persuasion and healing:A comparative study of psychotherapy, 3rd ed. Johns Hopkins University Press, 1991(杉原保史訳:説得と治療:心理療法の共通要因.金剛出版,東京,2007)
12)東田直樹:自閉症の僕が跳びはねる理由2.KADOKAWA,東京,2016

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