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心と社会 No.193 2023
巻頭言

ケースに始まりケースに終わる

白川 治
医療法人尚生会湊川病院、神戸大学客員教授

 「釣りはフナに始まりフナに終わる」という釣りの格言がある。同様にたとえることは不謹慎かもしれないが、精神科診療も「ケースに始まりケースに終わる」と考えてもよいのではないだろうか。精神科診療の始まりは、診断を念頭に置いたケース(個々の症例・事例)との向き合うことから始まる。精神科医としてしばらく10年ほどは病名に特に関心が向くが、しだいに精神科診断の不分明さ、長い経過での患者の移ろいやすさなどに気づくようになる。そうなれば、治療や支援にとってみれば診断はとりあえずの約束事と考えるようになり、おのずと生活史へ目が向くようになる。つまり、病者にとってから生活者にとって、へのまなざしのシフトである。また、ケース・カンファレンスは、主治医が独りよがりに陥らず多面的な視点で患者さんを理解するために大変有用であるとともに、精神科医療の閉鎖性を和らげる意味でも欠かすことができない。

 振り返ってみると、自身が精神科医となった1980年はDSM-Vが登場した年にあたり、米国において精神分析から精神薬理学、脳科学の進展を背景とした生物学的精神医学への大転換を決定づけた年だった。それから40年以上経つが、精神医学にとってこころと脳の関係をどう考えるかという課題が解決に向かっているとは言えないだろう。遺伝か環境かという命題も、発達障害とトラウマの問題にみられるように混沌としているようにみえる。虐待などの過酷な養育環境をはじめとする深刻なストレス因の影響を、遺伝子(DNA)の後天的な修飾(エビジェネティクス)と結び付けるといった脳科学的な解釈もなされるようになってきており、こころと脳の関係と同様、対比的な構図は多少薄まってきているようにも感じるが、依然として手探り状態にあるように思う。精神科医療の現場でも、脳の機能的な失調を想定する薬物療法とストレス因を重視する精神療法は相補相乗的であるはずだが、以前のようなあからさまな対立・対比こそ影を潜めバランスが強調されるようになってきてはいるものの、まだまだ両者の溝は深いように感じている。

 診断とは患者さんの生きづらさなどを病気に落とし込むことにあるのだろうが、治療で求められるのは、患者さん(あるいは患者さんの置かれた状況)のなかにしなやかでたくましい部分を見出し働きかけることだろう。言い換えれば、治療とは、患者が病んでいくプロセスを和らげる因子を見出し働かせることにあるのかもしれない。

 生物学的アプローチの究極の目標は、精神疾患の原因や病態を明らかにし新たな治療に繋げることであろう。しかし、特定の精神疾患についてさえも、生物学的な背景は多様で病気としての輪郭が不鮮明であることは、臨床現場での実感とともに最近の生物学的な研究の成果によっても明らかにされてきている。自己免疫性精神病のように脳の病理が同定され治療に結びつくようになることもありうるので、今後は、細分化・層別化を進めることで病態に応じた適切な治療法を見出すことになろう。いずれにしても、こうした生物学的研究の大半は、リスクとか脆弱性をまず明らかにすることにある。それはそれで特に新たな治療法の開発のためには必要不可欠なアプローチであるが、人が病まずにすむために最も大切なことは、生物学的にも状況的にも発症を阻止する要因の存在にあるのかもしれない。今日的に言えば、レジリエンスへの着目である。医療の原点はヒポクラテス以来、自然治癒力への着目にあったことを想起するなら、当然の発想である。レジリエンスの意味するところを脳科学的に読み解くならば、回復に向けた脳の可塑性を意味するのかもしれない。多くの場合、薬もレジリエンス、防御因子の強化を容易にするツールとして機能しているようにも思える。

 精神科治療の目指すところのひとつは、患者さん自身が自らを許容する一方、患者さんについて角が取れてきたと周囲が感じるようになることかもしれない。これは、障碍を個性に変える営みと言えないだろうか。もちろんその営み、特に急性期では向精神薬をはじめとする生物学的治療手段が大変有用であることは言うまでもないのだが、急性期の治療が一段落してからの回復に向かうステップにおける関わりにこそ精神科医としての力量が問われているような気がしてならない。精神科医療の裾野が拡がるとともに、非内因性のうつ病やグレーゾーンの発達障害などの辺縁群の病理への気づきが強調されてきている。精神疾患や障碍の意味するところが拡がりをみせている時代だからこそ、スーパーノーマルあるいは健常幻想にとらわれることなく、障碍を個性として読み替えるセンスが求められているように感じている。

 精神科医に求められるスキルとは、おそらくは狭義の診断云々ではなく、患者さんのあり方や生きざまが透けてみえるようになることなのかもしれない。症状の寄せ集めで診断することではなくて、患者さんの体験を生活史のなかで位置づけることがなによりも大切であろう。つまり、困りごとをめぐる患者さんとのやりとりが、病者としての症状から生活者としての日常へと移っていく、そのタイミングを早めることが治療的な関わりの核心ではないだろうか。ビッグ・データ、メタ解析の時代にあっても、精神科診療の原点とも言うべきケースへの回帰と生活史を辿ることの大切さを改めて痛感している。

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