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心と社会 No.194 2023
巻頭言
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女性の系譜
上別府圭子 国際医療福祉大学大学院医療福祉学研究科 教授
私と日本精神衛生会との関係は長く、たぶん大学院生のころからだったと思う。そしていつのころだったか、江尻美穂子先生(津田塾大学)に誘っていただいて、編集委員会の末席に加わらせていただいたのではなかったか。編集委員の任期が来たころ、こんどは本木下道子先生(東京芸術大学)と交代で、毎年3月のひな祭り周辺で催されているメンタルヘスルの集いの総合司会を拝命することになった。このお役目は今では、編集委員を継いでくれていた池田真理先生(東京大学)が、上手にこなしてくれている。理事も拝命して、広瀬徹也理事長、牛島定信理事長、小島卓也理事長のもと、微力ながらお手伝いをさせていただいている。今では非医師の女性で、本会にかかわっている者の数も多少増えているが、貴重なお役目を、立派な先輩方から引き継いでこられたのかどうか、まったく心もとない。
つきあいが長いので、本誌にもたまに名前が登場していたかもしれないが、まとまったものとしては、随想を書かせていただいたことがある1)。かなり昔のことで、残っていまいと思いつつも、古いファイルを開いてみたら、そこに別刷りがはさんであった。1988年1月に発行されたNo.51とある。なんと、35年、36年近くも昔である。それからこっち、執筆当時の人生以上に長い年月が経過している。時の流れは、矢よりも速い。タイトルは妊婦と精神療法。治療者が妊娠したときに精神療法過程にどのような影響があるかについて、海外文献や自験例の紹介を中心に据えて論考したものである。
精神療法という営みは、治療者自身のライフサイクル上の経験と大いに相互作用すると私は考えている。ライフサイクルではさまざまなことがらを経験するのであるが、こと妊娠・出産というのは、経験している本人にとっても、またその本人との関係が重要な意味をもつ相手側の者にとっても、空想をかき立てられやすいライフイベントと言ってよいだろう。治療関係の中で一番現れやすい問題は見捨てられ不安で、治療者の関心をおなかの中の赤ちゃんと争って攻撃的になったり、治療者の赤ちゃんに同一化して治療者が仕事を続けると一人ぼっちになってしまうのではないかと不安になったり、治療者の夫にライバル心をあらわして性的な葛藤が明らかになるなど、さまざまな反応が起こりうる。ここで治療者が自らの変化をモニタリングしつつ、患者の問題を適時に扱うことができれば、精神療法を大きく展開することが可能である。一方、治療者が自らの反応に無自覚であったり翻弄されてしまったりすると、患者に身体化や行動化が起こるなど、精神療法過程が危機に瀕してしまう。自験例27例の事例研究を通じて、精神療法過程への影響を検討したのが、私の学位論文であった。スーパーヴァイズは、吉松和哉先生(当時東京都精神医学総合研究所)にお世話になった。
当時、英米の女性精神療法家による先行文献は相当数あったが、日本で同じテーマに触れておられたのは唯一、片山登和子先生のみであった。私が発表してからは、国内の数名から問い合わせをいただき、現在では私のほか7名の女性精神療法家の原著論文が、医学中央雑誌で検索される。あるとき、土居健郎先生からはがきが届いた。「あなたの学位のテーマの論文が、American Journal of Psychiatryの〇号に載っているから見てごらんなさい」という内容であった。80歳を超えた土居先生が、ジャーナルの新刊に目を通していらっしゃることに畏敬の念を覚えるとともに、指導教員とはなんてありがたい存在かと感動したことを憶えている。
女性治療者の課題は、日本心理臨床学会で何年にもわたって自主シンポジウムを組ませていただいた。相棒は、園田雅代先生(創価大学)や植山起佐子先生(岡山県スクールカウンセラー)で、例年、先輩女性をお迎えするとともに、討論のできる男性の臨床心理士や精神科医師にもご登壇いただいて、なるべく中立的・科学的に課題にアプローチするよう心がけていたと思う。また日本精神分析学会においても、平島奈津子先生(国際医療福祉大学)とご一緒した教育セミナーでは、男性治療者の母性幻想などについて指摘させていただいた。最近公刊された書籍にこのときの私が登場していてびっくりしたが2)、その場を共にした平島先生によって再構成していただけてありがたかった3)。書いたものが、次世代の者によって再評価されること自体は、嬉しいことでもある。
このように、たくさんの先輩や仲間やこの日本精神衛生会にも育てていただいた私であるが、後輩に何か贈ることができたであろうか。臨床家として、研究者として、学問を作る者として、小さな小さな知識でもエネルギーでもなんでも、贈ることができていたなら幸せである。
文献
1)上別府圭子:妊婦と精神療法.心と社会 51:129-135,1988
2)西 見奈子編著:精神分析にとって女とは何か,福村出版,2020
3)平島奈津子:書評 精神分析にとって女とは何か.精神分析研究 65(3):194-196,2021
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