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心と社会 No.196 2024
巻頭言

COVID-19が遺したもの

武井麻子
京都看護大学、Office-Asako

 世界中で猛威を振るったCOVID-19(以下、コロナという)も、日本では昨年5月に感染症法上の位置づけが2類から5類となって以来、電車内でマスクをしている人も減り、未知の致死性ウイルスが引き起こしたパンデミックの衝撃の記憶は、徐々に薄れつつあるように思う。「コロナ禍」という言葉に代わって「ポストコロナ」、「アフターコロナ」という言葉をよく耳にするようになった。とはいえ、私の周辺でも、甥の一家がつい最近、感染して大騒ぎになり、知り合いの精神科病院ではいまだにクラスターが発生している。果たして、あの未曽有の災厄と呼ばれた危機は、過去のものとなったのだろうか。

「コロナ後遺症」に苦しむ人々

 昨年、私はいわゆる「コロナ後遺症」に苦しむ人たちと研究を通して知り合う機会を得た。日本で公式には「COVID-19の罹患後症状」、海外では「long COVID」などとも呼ばれるコロナ後遺症は、2020年の世界的な感染拡大の第一波の時から報告されてきた。WHO(2022)は、これを「新型コロナウイルスに罹患した人にみられ、少なくとも2カ月以上持続し、また、他の疾患による症状として説明がつかないもの。通常はCOVID-19の発症から3カ月経った時点にもみられる」と定義し、症状として、「疲労感・倦怠感、息切れ、思考力や記憶への影響などがあり、日常生活に影響することもある。COVID-19の急性期から回復した後に新たに出現する症状と、急性期から持続する症状がある。また、症状の程度は変動し、症状消失後に再度出現することもある」と報告している1)

 このような記述からも、コロナ後遺症の症状や経過がいかに多様であるかがわかる。厚生労働省が公開している「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)診療の手引き 別冊 罹患後症状のマネジメント第2.0版」でも、「根本的な病因、有病率、危険因子などについては未だに不明な点が多く、医療者も対応に悩み『気のせい』と患者に伝えたり、『自分のところでは診られない』と診療を拒んだり、あるいは患者自身が医療機関を求めて転々としたりすることが少なくないといわれている」2)と記されている。

 実際、患者の多くは耐え難い倦怠感や呼吸苦、関節痛、さらにはブレイン・フォグのために集中力や思考力、記憶力が損なわれるなどの全身の苦痛を抱えて、症状ごとに各科を受診しなければならない。それも効果があればまだしも、長引く治療のための時間も費用もばかにならず、休職や退職となれば生活も成り立たなくなる。コロナに罹った上になぜこんな苦労を背負わなければいけないのかと、その理不尽さに憤りを抱える患者にとって、医師からの「気のせいでは」という言葉は、病いの苦しみだけでなく、人格までも全否定するものと受け取られていた。患者たちは、長らく病院通いをしながらはかばかしく回復しない様子に、身近な友人や家族からも「気のせいでは」、「気にしないようにしたら」などとしばしば言われていたからである。専門家ではない人がそういうのは、悲しいけれど仕方がないと思う。だが、専門家であるはずの医療者までもが同じことを言うことに、かれらは深い不信感と絶望を募らせていたのである。

 コロナ後遺症により、見た目は変わらないが、これまで普通にできていた仕事や家事ができなくなる。今日は体調がよいと感じても、少し動くとものすごい疲労感や痛みやめまいなどに襲われ身動きができなくなる。自分の身体でありながら、自分ではどうにもできない無力感。一時的に希望を抱いては自分の身体に裏切られる、その繰り返しなのである。しかも、寝たきりになってしまう恐怖から、少しでも具合がよい日に職場に出たり友人に会ったりすると、「意外と元気ではないか」といわれる。でも、帰宅後は寝たきり状態になることは誰も想像できない。そんな苦しみを家族や友人に訴えても当惑させるばかりなので、最近では何も言わなくなり、会うこともなくなった。でも、誰かと話をしたい。

 こうしたコロナ後遺症がもたらす孤立無援感や不信感、喪失感、行き場のない怒りなどが語られる中で、コロナに感染した時の恐怖が口を突いて出たことがあった。二度と罹りたくないというのである。

社会の中のコロナ後遺症

 「喉元過ぎれば熱さ忘れる」の伝で、コロナによる死の恐怖も人々は記憶から拭い去ろうとしているのかもしれない。だが、トラウマは身体と脳と心に刻み込まれる3)。コロナ後遺症は個人に現れた痕跡の一つといえるだろうが、その痕跡は別の形でも繰り返し現れてくる。たとえば、感染拡大の時期にコロナ病棟を設けた病院では、コロナ病棟と非コロナ病棟との間に深刻な分裂がしばしばみられたし、社会では医療従事者とその家族が差別・排斥されたり誹謗中傷されたりする事態が起こり、日本看護倫理学会が「新型コロナウイルスと闘う医療従事者に敬意を」4)という声明を出すに至った。今ではコロナに直接関連した出来事とは認識されていないが、かつて以上に職場の人間関係がギスギスして、パワハラやトラブルが多発する事態が生じている。職場の「心理的安全性」に注目が集まるのも、その裏返しであろう。

 コロナに遭遇した時の恐怖と無力感を忘れようとすると、ウクライナやパレスチナでの長期化する戦争や多発する自然災害などでの大量死の恐怖にも鈍感になってしまうのである。社会の中に信頼感と安心感をとり戻すためには、ひとりひとりが改めてみずからの恐怖と無力感に目を向ける必要がある。そうコロナ後遺症は警告を発しているように思う。

文献
1)World Health Organization(2022年12月7日):Post COVID-19 condition(Long COVID).
https://www.who.int/europe/news-room/fact-sheets/item/post-covid-19-condition(2024年4月19日閲覧)
2)新型コロナウイルス感染症(COVID-19)診療の手引き 別冊 罹患後症状のマネジメント・第2.0版編集委員会(2022年10月17日):新型コロナウイルス感染症(COVID-19)診療の手引き 別冊 罹患後症状のマネジメント,第2.0版.
https://www.niph.go.jp/h-crisis/wp-content/uploads/2023/10/001159305.pdf
3)van der Kolk,B(著),柴田裕之(訳)(2014/2016):身体はトラウマを記録する─脳・心・体のつながりと回復のための手法,東京,紀伊国屋書店.
4)日本看護倫理学会:新型コロナウイルスと闘う医療従事者に敬意を,2020年4月2日,2020
https://www.jnea.net/wp-content/uploads/2022/09/200403-covid.pdf

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