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心と社会 No.197 2024
巻頭言

こころのバッファーとしての「想像」とそれを生みだす時間

横山恭子
上智大学

 あるとき、入院している小学校低学年の子どものことで相談を受けた。お母様が帰宅されると絶叫し大泣きをする、医療スタッフが話しかけても返事はできず、内服もできず、食事は摂らず、一方で寂し泣きとナースコールが頻回となり、ほとほと困っているとのことだった。

 ベッドサイドに訪問すると、彼女はベッドに腰掛け、口をきゅっと結んでこちらを見ていた。自己紹介して話しかけると、こちらをじっと見たまま動かず、返事をしない。ふと私の足元を見ると、折り紙が落ちていた。〈見てもいい?〉と尋ねると頷くので、拾って見せてもらった。なんとなくヨレッとした折り紙だったが、まだ何も折られていないものだった。その折り紙はまるで彼女を表しているように私には思われた。彼女はひとりでは遊ぶことができず、常に誰かに遊んでもらわないといられないようだった。病気の性質から個室管理になっており、部屋を出てはいけないということを医療スタッフから繰り返し丁寧に説明されても部屋から出てしまい、記録室の看護師のそばに座り込んで帰室を拒否した。常に周囲の人の気を惹こうとしている様子も気になったが、遊ぶ時には見本通りにしないと気が済まない様子も気になった。他の子どものように、本や漫画を読んだり、想像遊びのようなことをしたりしている様子は一切見られなかった。

 彼女には「1人でいられる能力」が育っていないように思われた。このことは、外界との間に適切なクッションあるいは空間がないということと関連があるように感じられた。彼女には、ちょっとした外界の変化や外界からの侵入が、ダイレクトな痛みとなって感じられるのだろう。また、同じことは内界との関係にもいえ、自分の感情を抱えることができずに、極めて直接的な表現をするのではないかと思った。

 私には、彼女に不足しているのは、おそらく想像力ではないのだろうかと感じられた。もちろん、いろいろな説明の仕方があるだろう。内的対象がうまく形成されていないということもできるかもしれない。彼女の家庭の過酷な状況を考えるとき、それは十分な説得力を持つものでもある。ただ、想像力と考えた時に、私には一番腑に落ちる気がしたのである。子どもが親の不在に耐えている時、「お母さんはこの時間、いつものようにみんなを手伝わせながら台所でご飯を作っているのかな」「お母さんはこの間、私の好きなご飯を作った時に、私に食べさせたくて泣いちゃったって言っていたけど、また泣いちゃっているかな」「もし私がとっても具合が悪くなったら、お母さんもお父さんもきっとすぐ来てくれるだろう」と思い描くことができるならば、子どもは一人でいることに耐えやすいだろう。読んだ絵本の中に入って登場人物やその友人としての体験をしたり、お話の続きを思い描いたりしている時には、時間を過ごしていくことが楽になるだろう。そう考えてみると、もちろん安定した関係がなければ悪い「想像」ばかりが働いてしまう可能性があるが、安定した関係に支えられた「想像」は、子どもを辛さや痛みに耐えうるようにし、「明日を楽しみに待つ力」を持つことにつながっているように考えられた。それは子どものあたまとこころの自由度を増し、子どものこころに「あそび」を含んだ空間を作り、バッファーとなる。

 冒頭に取り上げた子どもに対しては、病棟のスタッフで相談を行い、看護師が寝る前の読み聞かせをしたり、院内学級の教員がお話を聞かせたりして、物語に触れる機会を多く持った。また、私は心理職として、ベッドサイドでのプレイセラピーを行った。ある日、いつものように時間の終わりを渋る彼女に対し、これもまたいつものように私が退室しようとすると、彼女は自分の意志が通らないのを悟ったのか、近くにあったぬいぐるみたちを集めて座らせて、一緒にボードゲームを始めた。初めて見た、彼女のごっこ遊びだった。

 想像力が育つためには、「環境」と「時間」が必要であろう。一人だけで考えている時よりも、聴き手を得た方が発展しやすいように思われる。また、思いを巡らすための時間も必要になる。そういう意味で、現在の、時間に追われ管理されて生きざるを得ない子どもが多く存在する状況は、大変心配である。物や出来事や映像で埋め尽くされない時間、すなわち暇な時間を持つことを是非すすめたいし、それが子ども自身の伸びやかで強かな成長にとっても、社会にとっても、必要なことであるように思われた。

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