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心と社会 No.198 2024
巻頭言
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何かあったんじゃないか
若者が「皆が自分の悪口を言っている」というような被害妄想をもらすときに、一番に考えなくてはいけないのは、統合失調症という病気であると、精神医学の講義で話してきた。思春期・青年期に発症しやすい統合失調症は、精神疾患の中でも重篤なものであり、精神医学の歴史は統合失調症を中心に進んできたと言ってもよい。何かの出来事が原因のように見えても、それはあくまでも一つのきっかけであり、本質的には脳の失調、脳に主な原因があり、早期に治療に導入することが大切と考えられてきた。だから、いくら軽微であっても統合失調症の徴候は見逃さないように、と教えられた。このような見かたを筆者は「統合失調症メガネ」と呼んだことがあるが、このメガネをかけると、統合失調症の辺縁が広がり、数が増えてしまう。
30年ほど前に筆者が統合失調症と診断した患者さんが久しぶりに来院され、診てみると発達障害やトラウマ関連症状であったりして、驚くことがある。だが、その当時のカルテ記載には診断に対する迷いはない。最近でも、長年、統合失調症と診断し通院されていた患者さんを、若い医師に代診してもらったとき、あっさりと「発達障害の患者さんですね」と言われて、愕然としたこともある。長い間に視線や視野が固定化していたのではないかと、改めて深く反省したことである。どうも「統合失調症メガネ」をかけていると、発達障害やトラウマは見落としやすい。ときには、それが治療や支援をいくらか誤った方向に導くことがある。例えば環境調整が求められる患者さんに、薬物療法中心の治療を行ってしまう、という具合である。
若者が「自分の悪口を言っている」などの被害妄想を話すとき、恐い出来事や体験はなかったかと、ていねいに聞くことが大切だと、この10年20年は考えるようになった。学校や職場などの集団の中で、孤立したり、いじめられたりする体験はなかったか。聞いてみると実際に、雑談の輪に入れずじっと固まっていたり、「仕事の要領が悪い」と皆から叱責されていたりすることがある。被害妄想を引き起こすようなことが日々の生活の中で起こっていて、それが膨らんで妄想に発展したと理解できるケースは少なくない。子ども時代に激しくいじめられていたとか、虐待的な環境にあったなど、過去に恐い体験をしていたとわかることもある。また、過去にそして現在に、何らかの発達上の問題やトラウマ体験をもっていることも少なくない。「発達障害メガネ」「トラウマメガネ」をかけたほうが、よく理解できる患者さんが増えてきているようなのである。
「発達障害メガネ」「トラウマメガネ」をかけて診ると、長い病歴をもつ統合失調症や双極性障害やうつ病の患者さんの中に、発達特性やトラウマ症状を見つけることができ、それが治療や支援に異なった視点を提供し、よい変化を導く契機になることもある。もちろん、経過の中で、発症当初の状態に、家庭や仕事などでのさまざまな要因が加わり、事態はこじれたものになっているのだが、それでも、発達障害やトラウマに注目することで、いくらか異なったアプローチが見つかることが少なくない。
そのようなことから、最近は若者に関わる教師や支援者に、被害妄想をいだく人に会うときは、「何か恐いことがあったんじゃないか」と思いながら聞くことが大切だと、話すようになった。学校や家庭の中で、恐い体験があり、それが被害妄想に発展しているとなると、まずは「どんなことがあったのか」を聞き、その上で、「どうすれば生活環境が安全で安心なものとなっていくか」と考えていく。実際は難しいことが多いのだが、環境調整はとても大切である。実薬もいくらか応援してくれるかもしれないが、安全で安心な環境が何より求められることは少なくないのである。
発達の特性やトラウマ体験は、濃い薄い、強い弱いの程度の問題はあるにしても、誰でもがもっており、自分の内にもあるものではないだろうか。治療や支援する人は、それに気づきながら、支援をすることが大切ではないか、という思いを強めている今日この頃である1,2,3)。
文献
1)青木省三「ぼくらの中の発達障害」(筑摩書房,2012年)
2)青木省三「ぼくらの中の『トラウマ』―いたみを癒すということ」(筑摩書房,2020年)
3)青木省三「ぼくらの心に灯ともるとき」(創元社,2022年)
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