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No.1 現代家族とメンタルヘルス

大阪市立大学名誉教授  本村 汎


1.現代の家族を舞台に演出される悲劇

子殺し・虐待の裏にひそむもの
  最近、子どもに食事を与えないで餓死させたり、暴力を振るって殺したり、あるいは子どもが泣いてうるさいからといって、風邪気味の子どもを折檻して殺してしまったりするなどの家族の悲惨事が、頻繁に発生していますが、いったい、このような親の「不健康なこころ」は、どのように形成されてくるのでしょうか。心の形成要因としては体質・器質要因のほかに、家族関係、仲間関係、職場の役割関係、そして地域での隣人・知人関係などがあげられますが、人間の心の「中核部分」を形成するのは、誕生直後の母親との生理的・情緒的・知的なかかわり合いのなかでの「経験」です。その内容は基本的信頼感です。

 このように見ると、人間の全体的な「心の内容や仕組み」は、この心の中枢部分の上に、母親以外の友人、先生、上司たちとのかかわり合いのなかでの新しい情緒的経験や知的経験が積み重なって、出来ております。その意味では、乳幼児の頃の家族との情緒的・知的経験は、それが心の基礎を作っているということで、仲間集団や職場集団での友人の選び方にも影響を与えると言っても差し支えないと思います。

 このように、心の形成における家族の役割を考えた場合、子どもを餓死させたり、暴力を振るって殺したりするのは、その個人の体質や器質にあるというよりも、その人が生まれ育った「家族体験」にあると考えてよいと思います。生まれ育った家族での「生活経験」に問題がある場合、たとえば、親から「愛されている」「受け入れられている」「理解されている」という実感を体得しないままに育ってきている人の場合には、結婚の動機も、愛情ではなく、お金などの「打算的心性」であったり、あるいは親とのかかわり合いのなかで経験した欲求不満や緊張、あるいは親との葛藤などから逃れるための便法であったりします。そのために夫婦関係は、感情的にはひからび、感動もなく、充実感も低下してくます。そのような夫婦関係では、子どもを生む喜び、子どもを育てる喜びなどの母性的感情も育ちにくいようです。ましては、自分たちの家庭を創っていこうとする創造性の感覚の形成はむつかしくなります。

抑圧された未解決の感情体験
 ところで、このような結婚動機の不純な夫婦であっても、夫婦は性関係をもち妻は妊娠していきますが、このタイプの夫婦のなかには妊娠に対して後悔する人が比較的多く観察されます。つまり、子どもの頃に、母親や父親との間で、「肯定的感情移入」の乏しい先行体験しか持っていない夫や妻がおります。そのような妻は予期される母役割を「負担」に思う傾向が強くなります。そのことで、生むことに関して強い「心的葛藤」を反復的に経験しますが、胎児を始末してしまう決心も出来ずに、時が経過して、生まざるを得なくなります。このような自己決定能力の乏しさと心理的葛藤には、妻の自己中心的な感情が関与している場合がありますが、その他に、夫の妻に対する「受容的態度」の欠落があげられます。妻は親からだけではなく、夫からも「受容されている」「理解されている」という実感を経験出来ず、「生むことに」対する「自信喪失」や「ストレス」を蓄積していくようになります。結局、この母親の心理的ストレスは、彼女の生理的バランスを崩しながら、胎児の発育にも影響を及ぼし、やがてその胎児は「望まれない子ども」として、この世に生まれてくる場合があります。

 このように生まれて来た子どもに対しても、母親や父親が生まれ育った家族のなかで、両親から愛され、受け入れられたという先行体験があれば、たとえ妊娠時に夫が原因で「子どもは欲しくない・いらない」と思っていた妻であっても、生まれてきた子どもに対しては母親を与え、子どもの生理状態を気づかい、子どもと一緒に苦しみ、子どもと一緒に喜ぶという共感的体験が出来るようになります。結局、心理的次元で「母性」感情が育成されてきます。そしてやがては、その「母性」感情が基礎になって母親としての役割を取得することができるようになっていきます。

 しかし、母親や父親が両親とのかかわり合いにおいて<愛されている><受け入れられている>という実感を体得できず、親との関係で「過剰抑圧」を余儀なくされて育ってきている場合は、肯定的な先行体験よりも、否定的な先行体験の量が多いだけに、母性感情は育ちにくくなります。すなわち、「愛し、愛される」という「能動・受動的関係性」を内面化して心の一部(自我)にしていないだけに、子どもが出来ても、子どものニーズに対応出来る相互補完的な態度がとれなくなってきます。とくに、その子どもが「望まれていない子」として生まれてきた時は、その子どもが「負担」となり、その「負担感」は憎しみに変わり、ときには子殺し、遺棄などの異常行動などに走ってしまうようです。

 以上の子殺しに至るメカニズムは、ある臨床事例で観察されたものですが、このようにみてくると、子殺し、遺棄などの行動に繋がる「心の不健康」の大きな原因は、母親、もしくは父親の、生まれ育った家族での、充足を阻止された未解決の感情体験にあると考えて良いと思います。

2.「心の健康」−家族と企業と国家と地域社会との関連

1.現代の家族を舞台に演出される悲劇
2.「心の健康」−家族と企業と国家と地域社会との関連
3.「心の健康」を保つための方策を探る

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