東京インターナショナルサイコセラピー 小林絵理子
はじめに
厚生労働省(外国人雇用対策課)の外国人雇用状況のまとめによれば、事業主に雇用される外国人労働者は2019年10月末の時点で約166万人で、前年同期比13.6%の増加、届出が 義務化されて以来過去最高とのことである。今後も外国人労働者の数は増加の一途を辿ると思われたが、COVID19のパンデミックにより世界経済、社会情勢はさらに不透明となっている昨今である。合わせて今回のパンデミックでは特に米国における経済格差、そして経済格差と切り離すことのできない人種間の格差という根深い問題が露呈することとなり、 本原稿を執筆中の2020年6月現在 、Black lives matter ムーブメントが米国のみならず世界的なうねりとなっている。Black lives matterは米国における根強い黒人差別が発端となってはいるものの、他者に対する偏見・差別という人類史不変のテーマにいよいよ世界が正面から向き合う時がきたと言えるかもしれない。その観点から、本原稿では事例を紹介しつつ、今後多文化カウンセリングを行う上で重要と思われるポイントを合わせて考察したい。
カウンセリングではクラインアント要因とセラピスト要因が相互に絡み合う中で関係が発展していくのであるが、マルチカルチュラル(多文化)な文脈においては、そこに人種や国家、民族的価値観等が新たなダイナミックを作り出していく。当然クライアントのみならずセラピストも自分自身を多文化的な視点から理解する必要がある。その視点からまずは筆者自身の文化的背景を振り返ってみたい。
筆者は大学で渡米するまで日本で生まれ育ち、日本人であることを特段意識することもなく育ったという意味では典型的な日本人であった。当時では珍しく小学生の頃から英語を習い、留学を視野にいれて育ったという意味では昭和の典型的な日本人女性の育ち方ではなかったともいえる。米国では東海岸の国際色豊かな大都市と山間の田舎町という両極端な立地の二つの大学院にて心理臨床の教育を受け、西部、中西部、東部、南部と広範囲に渡ってインターンやポストドクトラル、そしてフルタイム勤務を体験し、米国の多様性の中に存在する地域間の違い・格差に触れる度に自分の思いこみを思い知らされた。臨床の中には大学のカウンセリングセンターや保険会社運営の病院等ある程度恵まれた人々が来談する場もあったが、シカゴ一治安の悪い地域の郡病院、南部の退役軍人専門病院、そしてこの度コロナ渦で最も大きな打撃を受けたとされる移民・貧困層が患者の大多数であるニューヨークの市立病院も含まれた。そのような病院では患者の9割方が黒人やラテン系、東南アジア系であった。銃声が毎日聞こえる地域で暮らす黒人女性、ホームレスシェルターを転々とするラテン系の男性等人種や民族が経済、社会的地位と密接に結びつく現実を目の当たりにした。このような臨床経験を受けるまでの私は、アメリカといえば南カリフォルニアにあるアジア人の多い大学しか知らず、留学生としてアメリカにいる自分はいかに恵まれそして特殊な環境にいたか、そしてケーキに例えるならデコレーションのみでアメリカを理解しているつもりになっていたこと、土台となるスポンジを体験していなかったことを痛感したのである。米国での臨床を通して私は人種、国籍、価値観、性別 等々自分に関する属性への理解を深め、外からは見えにくい米国の人種と移民歴からなるヒエラルキーを体験することになったのであった。
さて、このような文化的背景を持った筆者は現在渋谷にて開業をする傍ら、立教大学相談所にて留学生への英語対応カウンセリングを行なっている。個人開業では日英のカウン セリングを提供しており、クライアントたちは半分以上が外国人であるが、海外で生活していた日本人や紹介されてきた日本人の方もいらっしゃる。また渋谷という場所柄AIやブロックチェーンといった現代を反映するIT企業で働く方の比率も高い。今回外国人労働者のメンタルヘルスということで執筆依頼を頂いたが、私自身の臨床では日本語か英語 でコミュニケーションがとれる、またカウンセリングに来ることができるリソース(金銭 的余裕がある、勤務先企業にEAPがある等)を持ちあわせている方に限定されることを ご容赦頂きたい。例えば地方の技能実習生や日英のコミュニケーションが難しい方は含ま れておらず、外国人労働者と十把一絡げにまとめることの難しさを実感する。日本人同様 にメンタルヘルスサービス、とりわけカウンセリングという資源へのアクセスに関しても 地域、経済、言語間の格差があることを明記しておく。私の経験に制限があることを自覚しつつ以下に私がお会いする方々の声をデフォルメして紹介する。
●高度専門職として来日、IT企業で働くエンジニア:「英語が話せない日本人の部下を取りまとめるのが苦痛。会議に参加しても誰も意見を言わず自分のみが会社のために発言 している気がする。」
●大学勤務の科学者:「率直に意見を言うと煙たがれ問題児扱い。来日するまでその率直さを評価されてきたのだが。給料もQOLも低く日本の生活に疲れた」
留学生として来日、日本企業に就職したビジネスパーソン:「日本に住めてハッピーだが仕事に不満足。モチベーションも低下している。外国人同士でまとめられ、日本語を使う機会もなく何のために日本企業で仕事をしているのか」
●日本人との結婚をきっかけに来日、日本で事業を開始した自営業者:「妻のために日本に来たが、言葉もよく分からず妻に頼らないといけないことが辛い。日本に来るまでは自分で何でもできたのに。日本語ができないから以前の仕事は諦め自分でビジネスを始めることにした」
●研究所に勤務するポストドクトラル:「周りは皆日本人男性、自分は仲間に入れてもらえず常に孤独感を感じる。厳しい慣習のある自国には帰りたくないが日本でやっていける自信もない」
●学校に勤務する英語教師:「日本にずっと住みたいが英語教師としての生活は不安定すぎる。いつ不要とされるか分からず、パートタイムになったら生活は成り立たなくなる。将来への不安がいっぱいだ」
敢えて日本文化・社会とのインターセクションが如実に浮き出されている声をご紹介したが、日本人・外国人に関わらずクライアントの抱えている問題と文脈を切り離して考えることはできない。文化的背景、政治的背景は確実にその人の考え方やあり方に影響を及ぼしていることを考慮することが必要と思われる。次に筆者が多文化間カウンセリングを行う上でのバックボーンとなっているコンセプトについて紹介したい。
Multicultural competence(多文化能力)について
はじめに
Multicultural competence(多文化能力)について
さいごに