東京インターナショナルサイコセラピー 小林絵理子
Multicultural competence(多文化能力)について
1990年代後半から2000年中盤にかけて筆者が受けた米国の心理臨床トレーニングで強調されたのはmulticultural competence/competencyであった。日本語では多文化能力という訳になるのであろうが、ややわかりにくい概念である。現在では更にその概念がアップグレードされ、social justice(社会正義)の視点も取り入れられるようになった。APA ではMulticultural guidelineとしてサイコロジストがmulticulturally competent service(多文化の能力に長けたサービス)を提供するのに必要とされる概念をガイドラインとして発表した(2018, APA)。本稿では10あるガイドラインの中から、筆者がとりわけ重要と感じ心掛けていることを3点程選んで紹介したい。
1. あらゆる文化に影響を受けた人間として自らを自覚し、自分の中に存在している偏見に気づく、異文化に対する自分の限られた知識に基づいた判断や推測を超える努力をする。
“文化” に関しては何を持って文化とするかというディスカッションは長年行われてきたが、近年 “文化” とは国や民族、人種等を越えたもの、性別や性的オリエンテーション、障害の有無等まで含めた多面的なものとして捉えるという考え方が一般的であろう。クライアントの特定の文化について調べることはもちろん好ましいことであるが、目の前のクライアントが自身の文化の側面をどのように理解しているか、どのように感じているか、そして今クライアントが居住している日本文化とどのように絡まっているのか、こうしたクライアント特定の要素は聞かないことには分からない。一番危険なのはセラピストが自分のステレオタイプや思い込みに基づいてセッションを進めてしまうことであろう。多文化間カウンセリングにおいてはとりわけ自分の思い込みや偏見、そして無知を自覚することが大切な一歩と考えられる。
2.過去・現在における権力や特権、抑圧に関する認識を深め、正義、人権擁護を促すために組織的な問題に向き合う
筆者が受けた多文化カウンセリングトレーニングにおいて最初のステップとして重 要視されていたのが、自分にどのような特権があるか、自分にとっての抑圧の経験を自覚し理解する、ということであった。米国での人種的・民族的マイノリティとしての経験は、日本にいる自分がマジョリティとしていかに様々な特権の恩恵を被っていたかを思い知るきっかけとなった。同時にジェンダーや性的オリエンテーションの側面からも特権や抑圧という視点が広がった。筆者のオフィスでも人種の異なるゲイカップル等にお会いすることがあり、筆者の日本人であるという特権に加え異性愛者であるという特権を自覚しつつ、日本に存在する抑圧の事実に目を向ける心がけをしている。
3.クライアントの生活・人生における社会的物理的環境の役割を自覚する。
国籍にかかわらず環境とクライアントの相互関係は重要であるが、外国人クライアントの場合それが如実に現れる。当然のことながら日本に住む日本人が病んでしまう組織であれば、外国人にとっても病む要因を作り出す組織ということである。日本人が息苦しい・生きづらいと感じる社会は外国人にとって尚更であろう。外国人労働者の数は増加しながらも、多様性に対応できる柔軟性が日本の組織には足りていない印 象を受ける。日本人が当然と思っていること、あるいは “仕方がない” としてやむなく受け入れている独特の慣習、組織・制度上の問題について一歩引いてみてみること は大切であろう。
以下に外国人労働者のメンタルヘルスに関して、上記のポイントが絡み合う多文化のテーマに沿ってデフォルメしたケースをご紹介したい。臨床を行う上で多文化的な視野をセラピーに取り入れる、という視点から紹介させて頂く。
テーマ1:元々メンタルヘルスの既往や傾向があり、現代日本社会特有の文化、価値観等に影響を受けることで症状が悪化、あるいは再発したケース
アーティストのAさんは在米中に過食症の既往があった。批判的な家庭環境で育ち “〜べき” 思考に囚われがちであったが、来日して以来日本女性の細さに驚き、自身の容姿に自信を失うようになった。もともと食べることは好きで日本の食事も好き、特にパンにはめがない。日本では日本人の友人はほとんどできず、友人は外国人ばかりである。思うように社会的つながりが作れないことも相まり過食嘔吐が再燃しカウンセリングに来談した。彼女にはCBTを活用したが、ワークを進めていく中から浮上してきたのが、日本、とりわけ東京という都市に居住することの文化的な文脈である。もともと多少太りやすい傾向があり容姿へのコンプレックスはあったものの、自国では自分なりの魅力を見出せるようになっていた彼女が、東京で “ノーマル” と思われるボディイメージに囚われるようになり、ただでさえ “外国人” であることを意識せざるをえない日常に加え、“大きな体をした自分” を受け入れ難くなっていったのである。CBTのワークを行うにあたり、いかに東京が食の誘惑に満ちているか、 また簡単に食へのアクセスがあるかもディスカッションしたポイントである。駅から自宅までのわずかな間にもコンビニが立ち並び、夜中に食べたいという衝動が出てきても近くのコンビニに行くことで容易に満たすことができる。夜中でも比較的安全に買い物に行ける、という利便性と安全がCBTのワークにチャレンジを課すこととなった。幸い元来健康度が高かったこともあり、症状に対応する術を身につけてクローズとなった。食や体型は文化に大きく左右されるものであるが、本ケースでは、“痩せすぎ” 故のボディイメージに悩んだことのある筆者自身が居心地の悪さを認めつつ、そして米国では “拒食症と思われるのでは” “わざと痩せていると思われたら” と気にしたこともある体験を鑑みつつ、社会的文化的影響をノーマライズしながらワークを進めたのであった。
テーマ2:仕事のストレスが組織・人種の問題と絡み合ったケース
異動で来日したBさんは概ね順風満帆なキャリアを歩んできたが、異動先の組織の「腐敗」に驚愕し、その中で正しいことをしようとしている自分が疎んじられかつ陥 れられていくと感じ絶望のなか来談された。キャリア人生でほぼ初めて経験する無力感、当初は組織の問題として彼の反応をノーマライズしつつストレス対処に取り組んでいたが、やがてクライアント自身も “組織とはこうあるべき” “組織人たるものかくあるべき” という概念に囚われていたことに気づかれた。組織以外に生き残る術がない、と思い込んでいるところもあったが、自分にはオプションがあると気づかれた頃から少しずつ気持ちに余裕が出てきた。その過程で筆者が躊躇いながら聞いてみたことは人種の問題である。Bさんが経験している問題は、彼が黒人であることと関係 してはいないだろうか、という疑問が湧いてきたのである。米国でのトレーニングでは人種・民族的背景がメンタルヘルスに及ぼす影響が強調され、クライアントのメンタルヘルス上の問題の文脈として重要と思われる場合にはセラピスト側がその仮説をシェアしてみることの重要性を私は思い出していた。「あなたのこの辛い状況はあな たの人種と関係している、ということはないのかしら」と聞いてみたところ、「もち ろんさ、全てが人種とつながるのさ」とのこと。しかしBさんは自分から人種につい て触れることは躊躇われた。racecardすなわち人種問題を切り札として使っている という印象を与えたくないから人種について自分からは持ち出したくはなかったとのことである。黒人差別が顕著な田舎町で貧困家庭の希望の星としてエリート街道を歩んできたBさん。どんなに多様性を重んじると表向きにはアピールする組織も内情は、黒人の立場で権力を持つことにはリスクが伴う、と言うことをBさんは身を持って体 験していた。“黒人代表として成功し続けなければならない”、“黒人の期待を裏切ってはいけない”、と言うプレッシャーを自らに課しながら生きてきたのである。自分に課していた信念に気づきながら、そして彼の人種の歴史的背景がどのようにその信念の形成とつながっているのか、そして今後自分はどうありたいのか、彼の持つ様々なリソースを活用しながらレパートリーを広げていき、症状も改善しクローズとなった。彼が自分からは言えなかった人種問題を言語化できたこと、人種問題・組織の問題は解決しないながらも、自分の信念へのこだわりを手放してみるとオプションがあることに気づけたことは大きかったと思う。
さいごに
はじめに
Multicultural competence(多文化能力)について
さいごに