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こころの健康シリーズ\ 現代の災害とメンタルヘルス

No.6 原発事故と
コミュニティの混乱について

ほりメンタルクリニック 堀 有伸


国や東京電力への怒りや憎しみについて、どう考えるか

 原発事故は純粋な自然災害と異なり、人為的な責任が問われうる事件である。津波による事故の可能性を予知して対策を打つことが可能だったか否かという点は、裁判等を通じて大切な論点となってきた。そもそも原子力発電には国策として推進されてきた経緯がある。原発事故に関するトピックが政治的なテーマでもあることは、明らかだった。

 2012年に南相馬に移住した直後には、次のような話を聞くことが多かった。地元のお年寄りにとっては、自分の田んぼや畑で作った米や野菜・果物は自信の作品である。それをかわいい孫に食べさせたいと思う。多くの高齢者は自重する。中にはつい子や孫に勧めてしまい、それによって子供への放射線の影響を心配する母親を激怒させてしまった高齢者もいた。日常生活のささやかな一コマであったはずの出来事が、そのまま最先端の科学的知見を巡る論争や、政治的なテーマと直接にリンクしてしまう、その緊張感とそれが続くことの負担は、実に独特なものだと感じた。

 除染と一言で表現されるが、それは農家の人にとって、何年もかけて整えた田畑の肥沃な土を剥ぎ取ることであり、豊かな実を結んでいた果物の枝を切り落とすことだった。放射線の影響は特にキノコ類や山菜で大きく、こういったものを食べることは現在でも控えられている。しかし地元には時々キノコ採りの名人がいて、毎年自分の秘密の場所からたくさんのイノハナやマツタケを収穫していた。「イノハナ」というのは私も南相馬市に移住するまで知らなかった。「イノハナごはん」がとてもおいしいという話題を移住した直後からたくさんの人に聞かされたが、食べたことがないまま10年以上が経過した。最近はキノコのことが話題になることも相当に減ったと感じている。

 「心的外傷を受けた人はしばしばいかなる援助も求める気にならないもので、心理療法などももちろんである」というのは、有名なハーマンの『心的外傷と回復』の中の一節である[1]。強烈なトラウマは、私たちの生活や心のあり方の構造を破壊してしまう。トラウマとなった出来事そのものへの恐怖に加え、その影響として、精神分析などがいうところの「自己が解体してしまう恐怖」にもさらされる[2]。ひたすら心の殻を固くして、さらなるダメージを受けないように自分の身を守らねばならない。

 今まで信じていた国策が間違っていたかもしれないというのも、それをナイーブに信じていた人にとっては、解体への根源的な恐怖を予感させるものとなりえる。そのような時に、強い怒りや恨みの感情こそが、自分の心の中に存在する唯一の十分な強度を持つ要素に感じられる。そのような瞬間には、「怒りや恨み」を中心に自分の心を再構成することだけが救いとなりうる。原発事故のような出来事の後では、国や東京電力、それにつながる対象が怒りの向かう矛先になっても不思議ではない。逆に、この怒りが自分に向かっている場合には、自殺のリスクが高いと判断するべきだろう。

 トラウマを経験した人々の怒りや恨みは肯定されるべきである。しかしそれをどこから行き過ぎだと判断し介入するのか、という点で支援者は倫理的な葛藤を抱えることになる。私がそれを感じたのは、震災後に行われた調査で放射線による直接的な健康被害が軽微であるという報告がなされるようになった時点である。もちろん、そのような報告を「国に巻き込まれた御用学者の発言」と取り合わない姿勢を示す人々も少なくなかった。私はそれらの調査結果を信用できるものだと感じたので、苦しい葛藤を経験することとなった。

 象徴的なできごとは、マンガの「美味しんぼ」という作品で、福島の放射線の影響で鼻血を流す被災者が多いという話が喧伝されたタイミングだった。私はそれを放射線の直接的な影響による特異的な症状ではなく、非特異的なストレスの影響だと解釈するべきだと思った。その時点で地元で復興を目指す人々の心情に、私は相当に近くなっていた。「復興」のためには多くの人に帰還してほしいし、福島県産の食物などを購入する人が増えてほしいと思った。しかし放射線による被害が強調されればそれらが損なわれる。逆に、避難を継続し故郷に帰還しないことを決めた人々は、故郷が危険でありそこに戻るべきでないという意見が強くなることを望んでいただろう。科学的には放射線の直接的な健康影響が生じる被害が少ないと伝えることには、「エビデンスという棍棒で被災者の心情を殴るような行為」であるという批判もなされた。被災地の外と内でもそのような対立が生じたが、被災地内部でも、「美味しんぼ」への批判は地元の復興活動に邁進する「男性たち」には受けが良かった一方で、ひっそりと、子供の健康に影響を与えることに不安を抱えていたお母さんたちからは恨まれていた場合もあった。

 

PFA: Psychological-first aidが支えになったこと/現在見えているもの

はじめに/避難指示が出た地域と出なかった地域の差
国や東京電力への怒りや憎しみについて、どう考えるか
PFA: Psychological-first aidが支えになったこと/現在見えているもの

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