長野大学客員教授 小泉典章 5.Build Back Betterの観点からの復興について留意する必要があるのは、被災した人々が時間の経過とともに、はさみが広がっていくように、復興に向けどんどん元気になっていく人々と、ひたすら落ち込んでいく人々の二極化する傾向である。取り残され感が高じると、無力感、孤立無援の心境になり、心理学的な問題を引き起こすといわれる。それに対し、前述のように月1回は精神科医師による精神保健福祉相談(毎回4名以上の相談)、訪問支援(アウトリーチ)に関しては、村保健師による月2回の仮設住宅の訪問や、そこにできた集会所の訪問(閉じこもり防止のため)、仮設住宅以外でもできるだけ全戸の個別訪問(春と夏と秋1クールずつ実施)は有効だったと考えられる。 さらに、仮設住宅でのサロンの開設、手づくり新聞の発行、絵手紙の活用、村の保健師が集会所を利用して仮設住宅居住者を集めた新年会を企画するなど、生活の支援をできるだけ働きかけるのが再建期のBuild Back Betterの形成に重要だったと考えられる。
6.栄村小滝集落におけるBuild Back Better2018年5月、朝日新聞は「でんでんこ(互いにちゃんと避難する。相互信頼の醸成も新たな意味に加わる)」シリーズの中で、長野県北部地震後に新たな地域再生を試みた小滝集落の姿を取り上げた。 小滝集落では、2011年8月の恒例の夏祭りは中止しようと集落の会議で提案されたが、若い世代が反対し決行されることになった。8月16日、長野県栄村の小滝集落で恒例の夏祭りが開かれた。家が壊れて仮設住宅や村外に出ていた人も顔を見せ、残った人の家に泊めてもらったという。参加者は「祭りが人の心を繋ぎ止める」と大切さを噛みしめた。 8月28日、小滝集落の住民は揃ってバスに乗り、「奇跡の集落」と言われる新潟県十日町市の池谷集落を訪れた。池谷は限界集落と言われ、中越地震後は集落を捨てることまで考えた。それがボランティアなどの縁で若者が移住して人口が増え、平均年齢もぐっと若くなったのだという。それを可能にしたのが、外部との交流を拒まず歓迎するという考え方だった。そして口を揃えた。「何とかなる。慌てなくていい。必ず元に戻れる」 そして小滝を300年先まで存続させるという「小滝集落震災復興計画」ができた。このビジョンは、存亡が危ぶまれた300年前の小滝の歴史をもとにしている。江戸時代、水不足に悩んだ小滝集落の祖先は、一旦は越後に移り住んだが故郷を捨てきれなかった。ときの庄屋の努力で水を引いて戻り今日まで続いてきたのだという。 この計画では、集落存続の礎は田んぼを守ること。誰も来なかった小滝に、集落外の人との交流促進をすること。全てのものが自慢できる資源と認識し自慢すること。2015年には集落全戸が参画し、全員が主役の存在感を持つ社員である合同会社が誕生した。 東京の子供服店は、2016年から顧客の家族らと共に小滝地区を定期的に訪れている。農家と一緒に田植えや稲刈りをし、周辺のブナ林を探索。山あいの小さな集落をこれまで400人近くが訪れた。将来に続く事業も育てようと、共同で米をワインボトルなどに詰めて「コタキホワイト」ブランドで販売する取り組みも開始した。 集落で暮らし続けることができなくなれば土地を離れる人も出る。休耕と復旧工事に速やかに合意し、そこで生産された米のブランド化につなげた栄村の小滝集落は「震災をバネにむしろ発展している例」と評価されている。小滝集落の復興への努力はBuild BackBetterに他ならない。 以上は、朝日新聞長野総局に在職した鶴信吾記者の記事と合同会社小滝プラス代表社員の樋口正幸氏の手記を参考にした。
1.はじめに/2.栄村の現況 |
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