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こころの健康シリーズ\ 現代の災害とメンタルヘルス

No.11 向き合えない人々と心のケア 〜13年後に語れること〜

NPO法人相双に新しい精神科医療保健福祉システムをつくる会
相馬広域こころのケアセンターなごみ
米倉一磨


3.二つの恐れ

1)「精神」を恐れた病院

 福島県立医科大学心のケアチームは、2011年3月26日に公立相馬総合病院に臨時外来を設置した。私の災害支援はそこからスタートした。初日は、総合病院の救急外来で行った。窓口となった相双保健福祉事務所に、精神科のすべての受診先がなくなったことを知った患者や家族が問い合わせて、救急外来にたどり着いた患者がほとんどだった。遅れて、避難所から紹介されてきた住民や震災支援で傷ついた支援者(傷ついた教師、自衛官など)もいた。元々相馬市は、精神科の医療施設はなく、歴史上はじめてできたのは、後にできたメンタルクリニックなごみである。当時の総合病院の事務職員が、専門職並みの動きをしてくれたが、何か様子がおかしいことに気づいた。臨時外来の患者は、意図的に通常の外来から離れた場所に移動されるのである。そこには、他の患者とトラブルにならないように配慮する雰囲気が感じられた。すべての職員ではないが、「だれかが何かを恐れている」というそんな感じであった。

 ある日、総合病院から心のケアチームに「アルコール依存症の患者が入院したので夜間付き添って欲しい」と依頼が入った。すでにケアチームの支援が入り、点滴には鎮静効果のある薬剤が投与されていた。誰かが離脱症状を極度に恐れていた。病棟に行くと、比較的若い看護師は、アルコール依存症の患者のことを恐れてはいないようだった。次の日、私は申し送られて救急車に同乗し、遠く離れた福島県立医科大にその患者を搬送した。結局、何も起きなかった。後に、この恐れは精神疾患に対応したことのない年配の管理看護師のものであったと聞いた。直接、この恐れについて聞くことはできなかったが、数ヶ月後、看護部から「精神疾患の対応について研修会を開いて欲しい」と依頼があった。震災がなければ、この総合病院は精神疾患の患者を受け入れない病院のままでいられたのかもしれない。しかし、災害によって、恐れを恥として受け取り、最終的に向き合うことになった出来事であった。

2)「精神」を恐れたクリニック

 被災地三県にさきがけ、2012年1月に当NPO法人が心のケアセンターを設立することになった。合わせて同建物に、相馬市史上初となる精神科の医療機関メンタルクリニックなごみを開設することになった。準備は、急ピッチで進められ開設場所が決まり、隣接するクリニックに挨拶に行った。私たちは、歓迎されると思っていた。事務長と院長にメンタルクリニックの設立の経緯を説明すると、開口一番、院長は「薬局を使わないで欲しい。

(精神科の)患者が暴れ、ここを受診している子供や母親に危害を加えられたら困る」と言った。私は言葉を失った。この医師の名誉のために述べるが、地元では優しく評判のよい医師である。しかし、この時は院長と事務長の意見を聞くしかなかった。

 この数週間後、NPO法人が県から受託する精神障害者アウトリーチ推進事業(震災対応型)の住民に対する説明会の際に、薬剤師会から「メンタルクリニック開設に関する説明がない」との意見が出され、NPO法人側の説明のために同席していた大川より、説明会を開催するようにクリニックの方へ伝えることを約束してその場を収めたことから、クリニックの説明会を開催することとなった。

 メンタルクリニックの院長には、短期間であるが沖縄県の支援医師の新垣元氏(現 医療法人卯の会理事長)に就任してもらうことになり説明会に出席した。緊張した中で、医師会と薬剤師会は、クリニックができた経緯などを次々と質問しはじめた。不安や説明を求める発言が飛び交う中で、新垣院長は一言こう言った。「いらないなら(沖縄に)帰るよ」会場は一瞬氷ついた。この瞬間、新垣氏の機転で、ここは不安をぶつける場ではなく、メンタルクリニックがこの地域に必要かどうかを話す場に転換されたのである。薬剤師会、医師会は返す言葉がなくなった。この数ヶ月後、「薬局を使わせないでくれ」と話したクリニックの院長は、精神的不調がある患者は、メンタルクリニックに紹介するようになった。薬局も何事もなく使用できている。そもそも、この地域に、メンタルクリニックは必要であった。しかし、近場にできるとなると、精神障害者が何かを起こすのではないかという不安が先行したのである。どこか精神やメンタルヘルスは他人事であり、この医療者(一部であって欲しい)にとっては、精神の患者を正しく理解することさえ忘れさせる脅威であったのだと思った。自分の理解を超えるものへのアレルギー反応だったのだろうか。冷静に考えると定期的に通院している患者は、治療優等生なので暴れるリスクは低い。この医師に限らず、回復する精神の患者が身近におらず、地域で暮らすイメージがなかったのだろう。しかし、この2つの出来事は、小さい一歩であるが、原発事故によって、この地域の精神疾患の理解は前進したのでないかと思う。相馬市は精神病者監護法の制定の発端となった、「相馬事件」の地である。確かにこの地域は、精神の問題が表に出ることは恥とされる風潮はあるが、逆に考えると全国どこにでもある他地域との交流が少なく、障害者でも保護され安心して生活できる田舎でもあった。現に相馬藩は、領地替えもなく明治維新まで続く数少ない藩であった。このような地での風習がたまたま受け継がれ、今まで変わる必要のなかったことが、東日本大震災によって変わることを求められたのではないか。

 

はじめに/1.支援者が支援者に翻弄される 

はじめに/1.支援者が支援者に翻弄される
2.ストレスのはけ口がない行政職員
3.二つの恐れ
4.支援者自身の心のケアと向き合えること/おわりに

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